普通を維持することの難しさ
最近、普通がとても難しいと思うようになりました。もともと、ITやセキュリティを生業にしていますので、このあたりは仕事上感じていることではありますが、普段の何気ない生活の中にも普通って大変なことなんだよなぁと感じることができました。
それは、22日の架線切断による電車事故。事故が起きて、ニュースが報道して、電車には止めてはいけない場所があることを知り、ルールがあって、そのルールが守られて普段の生活ができている。
<JR架線切断>運転士の停止位置ミスが原因 火花発生
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070622-00000141-mai-soci
まさか、そのルールが守られなかったばっかりに、こんな大きな被害が出てしまうなんて、事故を起こした運転士が気づいていただろうか... ちょっとした気の緩み、ルールはあるけれど守らなくたって、たいしたことないだろうと思っていなかっただろうか...
会社もルールは守ってくれるものと過信していなかっただろうか。もし、ルールが守れなかった場合でもこんな事故になと知っていただろうか。
リスクに対する認識の欠如のなにものでもない。
会社の過失が大きいと言わざるを得ない。人はミスを犯すものと思わなければならない。その上での対策が求められる。ルールの徹底、技術的な事故回避策など充分であったか...
リスクの認識の欠如は、時が経てば減衰する。新入社員も入ってくる。認識レベルを維持するためには、限界がある。
それをカバーするのが、技術的、物理的な対策。しかし、費用という問題が生じる。経営者や管理者は、有限の予算の中で、対策を打ち続けなければならない。
起きてはならない事故だっただけに、その対策が不十分だったと言わざるを得ない。
普通を維持することが難しい。多くの人のルール遵守、多くの対策にお金が投入されて、運用されて、普通が維持されている。そんな社会なんですね。
ミートホープの牛肉偽造の問題も同じ要素を含んでいますね。




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