試されている...
小さい頃、いろいろと悪さをしたり、それを隠すためにウソをついたりという経験は皆さんにも少なからずあるでしょう。ウソをついていはいけない、悪さをしてはいけないということは、頭の中では分かっていてもいざとなると自分の中の悪魔に負けてしまうこともあるでしょう。
小生の場合、小さい頃のウソをついている苦しさ、惨めさが身にしみているようで、自分にウソをつかないこと、諦めないこと、自分に正々堂々としていること、自分に恥ずかしくないことを肝に銘じている。
そんな小生にそれを確かめるかのような出来事があちこちと起きるのだ。そのときの自分の気持ち、どう行動したかを自分でチェックする。
例えば...
○吉野家で、牛丼並と卵とおしんこを食べ終わったときに、店員さんがレジに向かいながら牛丼並みと卵だけの金額を言われたとき。
○ハンバーガーショップで、800円の支払いを5千円札で支払ったところ、おつりを9,200円もらったとき。
○自動販売機で、前の人がおつりを取り忘れたとき。
○ファーストフード店で、隣の椅子に前に座っていた人の携帯電話が取り残されていたとき。
○レストランで一人で食事をしているとき、隣の人の安い金額の伝票が自分のテーブルの上に置かれたとき。
○定食屋で、ご飯の大盛を頼んだが、お金を払うときに大盛代を加算していない金額を言われたとき。
○電車で目の前に赤ちゃんを抱いたお母さんが立ったとき。
○これを言うと、相手に有利なり自分には手間が多くかかるようなものでもそれが正しいことであると判断しているとき。
○自分が多少損してでも相手のためになるとき
こんな出来事に遭遇したとき、自分の心の中の変化を感じるのです。もちろん、一瞬でも二瞬でもこのまま黙っていようとか、このままにしておこうとかという悪魔の自分が出てくるのですが、そこで得したと思うのはほんの一瞬であり、その一瞬を味わうために長い時間費やすことを肌身で知っていることを思い起こし”正義”を貫こうとする変化です。
そして、当たり前のことなのですが、正義を通したときに小生の中だけですが、天使の自分が拍手をしているのを感じることが心地よいことを知りました。しかし、まだまだ悪魔の自分がいることも知っています。やっつけ方も知っているつもりですが、相手もいろいろな手を使ってきます。気が抜けないのです。
自分自身の心のポジションを確認するための出来事かも知れません。そう考えると、わずかな目先の得に惑わされない自分自身の正義を大切にしていきたい。
試されるくらいなら、そんな出来事が起きなければよいのにと思うのだが、やはり時々試されるのである。人の道、正義を大切にしていきたい。




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