WBI コンシェルジュのブログ
WBI とは、Working、Business & ICT。WBI コンシェルジュとは、働き方の見直し、業務改善、ICT活用の支援・相談役です。                                                                           
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2010年10月28日

選択と集中 その前に


 今の時代、ビジネスも手広く行う時代ではなく本業・コアコンピタンスで勝負する傾向です。それを表す言葉に、「選択と集中」があります。
 
 文字通り、どこに注力するべきかを見極め、注力しない部分の労力、時間、予算を注力すべき部分に集中させるという意味だと理解しています。もちろん、様々な解釈はあると思いますが...
 
 しかし、選択と集中の前に必要なことがあると思うんです。それは、「収集」。
 
 「収集と選択と集中」が私なりの言葉。
 
 できる経営者、管理者、ビジネスマンは、多くの選択肢をまず集め、ひたすら研究し、検討し、色を付けていく。そして、その場面、もしくは数年後、数十年後を見定めて、選択し、集中させる。
 
 10の中から選択する場合と100の中から選択した場合と1000の中から選択した場合とでは、その成功の確率や適合度合いは、違うはずです。
 
 この収集という行為が、実は、おろそかにされているのではないでしょうか。もしかしたら、2の選択肢の中で1を選んで、選択と集中としているかもしれない。これでは、選択している意味がない。
 
 収集は、簡単なことではありません。集めることも大変ならば、それを研究し、知り、把握し、自分の者としなければ収集となりません。そして、自信を持って選択、つまりは切り捨てることができるか。
 
 収集は、365日24時間。あらゆる時間で行える、いや行えてしまえる行為です。だからこそ、無駄にできない。労を惜しんではいけない。
 
 収集した大半は捨てることになるので、どうしても作業効率は悪い。作業効率を上げることを収集に求めてはいけない。
 
 10集めて満足するか、1000集めても満足できないか。この差は、結果となって表れます。
 
 好奇心を持ち続けること。知りたがりになること。これが、収集の基本だと思います。
 
 






2010年10月26日

表と裏


 世jの中には、必ずと意っていいほど「表」と「裏」があります。なければないで、もろいものとなるでしょう。あってもその色が強ければ怪しげなものになります。
 
 よく国会でも、くだらない、つまらない答弁ばかりで、もっと国のためになることを討論するべきだという声を聞きますが、国会中継に出てくるような場面はまさに「表」であり、実際に、国の重要なことを討論・議論しているのは、委員会だったり、官僚との個別の会議だったり、官僚だけの会議だったりするわけでコチラが「裏」になるのかもしれません。
 
 全てを「表」で出せばいいじゃないかと思う人も多いかと思いますが、「表」で議論すればするほど、収集がつかなくなるもの。つまりは、「裏」で案を作り、「表」で承認するという手続きになるのではないかと思うのです。
 
 つまり、目に見えている情報だけで、全てが分かったと思ってしまうことは浅はかなことであると思うのです。
 
 逆の立場からすると「表」と「裏」をうまくコントロールすること。「裏」をうまく使って筋道を立て、どう「表」に出して表現するか。
 
 これこそが、経営であり、管理であり、マネージングだと思うのです。
 
 形あるものには、表と裏。表面と内部があるように、物事にも、表と裏がある。きれいごとを意って、裏=悪 と判断してしまうのは、誤り。表裏一体となって、物事は成立する。
 
 裏のつもりが、表に出てしまって失敗するケースも多い。裏でやるべき作業・工程を表でやってしまい失敗するケースも多い。
 
 裏=秘密 でもない。
 
 まずは、「表」と「裏」を知ること。経験すること。
 
 そして、使い分けること。
 
 これができないと、決断力、行動力がない経営者、管理者となってしまいます。
 
 「表」と「裏」の使い方。とても大事な見方です。
 
 
 






2010年10月25日

今の実力を直視した時


 スポーツの秋。小生のスポーツの秋と言えば、くどいようだがドッジボールを語らざるを得ない。
 
 昨日、小3の我が息子のチームは、遠征練習試合だった。女子だけの大会が別にあり、男子だけで遠征して練習試合を行う。Aチーム(いわゆる1軍)は、男子女子同じ人数程度の混合チームのだめ、BチームのメンバーもAチームに入っての試合となった。
 
 さらには、4チームが総当たり戦のリーグ戦を4回行う予定。つまりは、1日で12試合をこなす。そして、決勝トーナメント付きなので、合計14試合。
 
 実践経験を積むには、またとない機会だった。
 
 実力的には、他の3チームと比べて、Bチームメンバーが加わったところで我がチームの男子Aチームの実力は抜きん出いているように見えた。ただ、Bチームのメンバーが、どの程度足を引っ張るか... どの程度貢献できるか... その度合いで、試合内容がどう転ぶかという味方をしていた。
 
 結果的には、14試合全勝。結果を残せた。
 
 AチームのメンバーもBチームのメンバーもそれぞれの課題に対してどう取り組んだか...
 
 Bチームのメンバーとしては、全勝という結果を残せたことは、評価できると客観的には見える。しかし、個々のメンバーにとっては、今の実力を直視する機会になったようだ。
 
 アタック(ドッジボールでぶつけられてアウトになること)されっぱなし... 外野に出てしまっては、組織プレーの中では戦力にならない。時には、顔面にボールをぶつけられる。避けられない。キャッチできない。スピードについていけない。チームとしては、お荷物状態になってしまっていることを目の当たりにされてしまう。
 
 こんなことが1日に、14試合も続いてしまうと、フォローのしようもない。つまりは、小学3年でありながらその自分の立場や実力のなさを受け入れなければならなくなる。その結果、涙となって表れる。悔し泣きである。試合の最中にでも。そんな涙を流すキッズが、数名も現われた。
 
 息子は、涙を流さない。しかし、まだまだ実力のなさ、スピードやアタックの威力についていけていない現状を受け止めて入るようだった。
 
 親も真剣。よく、下級生なんだから... まだ、始めたばかりなんだから...といい訳が先に立つだろうが、それをグッを飲み込んで応援やらゲキを飛ばし続ける。
 
 でも、上級生のアタックをキャッチした時の声援は、その分高まるし、激しい! キャッチできたキッズは、誇らしげ! そりゃそうだろう。上級生の真剣に投げたアタックをキャッチできたんだから。
 
 また、アタックをかいくぐり、試合で最後まで内野に残れたときもチームに貢献できたという満足感の表情を出すし、応援パパママも褒めてあげる。
 
 その一方、試合の早々にアタックされてしまって戦力外になってしまったキッズたちもいる。その巡り合わせは、試合によってマチマチであり、下級生のキッズにとっては、屈辱感も達成感もそれぞれ味わうことができたようだ。なにせ、1日14試合も行ったんだから!
 
 ”屈辱感 > 達成感”のキッズたちが、涙を流したのです。
 
 自分の実力を直視した時、ときに子どもの環境では、笑ってごまかしたり、周りもフォローしすぎてしまって現実をごまかしたりすることが多い。
 
 しかし、流した涙は、経験を実力に変える唯一の方法かもしれない。
 
 涙は、表現方法の一つ。現実をどう捉えて、どう感じ、どうしていきたいと考えるか... これが、実力を付けていく、うまくなっていく、唯一の方法。失敗なくして、成功なしである。
 
 そして、子どもたちから出てきた言葉が...「週末、自主練習しようぜ」だった。
 
 小生と我が子は、自主練習を毎週するようになったが、他もメンバーも練習しなくっちゃって感じて、行動を起こそうとしているんだ。
 
 今週末の自主練習...何名集まるか。楽しみでもあり、頼もしい。
 
 きっと、このBチーム! 強くなるよ! 強くなりたいって思ってるんだもん。強くさせてあげなくっちゃ...
 
 
 
 
 
ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://dppmm.jp/
 






2010年10月21日

欲と苦しみはワンセット


 ビジネスもプライベートも日々格闘中。そんな日々を送っております。
 
 将来の不安も少なくはなく、その将来に備えるために今を一生懸命。その繰り返し。
 
 楽しいことも、辛いことも、苦しいことも、うれしいことも、入り混じる。
 
 でも、どうしても嫌なこと、辛いこと、不安なことが頭に残る。考えてしまう。いや、頭から離れない。
 
 楽しみや夢は、考えても一瞬できれいさっぱり頭の中から消えてしまう。でも、苦しみや辛さは、頭の中にこびりつく。
 
 「人は、苦しみの中で生きていく」「人は、苦しみながら生きていく」という言葉がぴったり合う。
 
 でも、この苦しみをなくそうと思えば、欲を捨てればいい。
 
 欲があるから苦しむ。
 
 人は、欲を捨てられない。
 
 だから、苦しむ。
 
 欲が、高ければ、苦しみを大きい。当たり前のこと。
 
 苦しいと感じれば、それは、欲が大きいということ、
 
 
 
 
 そこで、欲を抑えられるのかと問いただしてみる。
 
 欲張りすぎなのか、それでも、欲を満たしたいのかと。
 
 
 
 
 この自問自答こそが、苦しみを受け入れられる方法かもしれない。






2010年10月20日

イチかパチかではなく


 ビジネスにおいても、人の人生においても勝負どころはあるものである。
 
 勝負どころ、力の入れようによって、結果が吉となるか凶になるか変わってきそうなところが、勝負どころなのだろう。
 
 力の入れようと力とは、時間かも、お金かも、はたまたそれ以外のものかもしれない。
 
 吉を夢見て、財を投げ打ちたくなる気持ちは良く分かる。私もそれなりの勝負どころをこなしてきた。
 
 どうしても、イチかパチかの勝負をかけたくなることも多い。
 
 男気ということばで済むような事態であればそれでもいいのだが、あまりにも大きな財を投げ打つような勝負の場合は、それなりに覚悟を決める時間を設けるべきである。
 
 そんな勝負をするなと言っているのではない。勢いだけで突っ込むようなことはするなということ。
 
 それだけの勝負であれば、自分ひとりで済む話ではない。家族、会社、親族、同僚... 影響が及ぶ範囲は広がっていく。その影響を自分ひとりで抱え込んでしまうことが問題。せめて、家族に相談し、一緒に腹をくくってもらわなければ大きな勝負は、勝負にはならなくなる。
 
 勝負とは、真剣にまじめに正々堂々とぶち当たるのが勝負!
 
 こそこそと隠れながら行うのは、博打に近い。
 
 あなたが行おうとしているのは、勝負なのか、博打なのか...
 
 ぜひ、勝負をして欲しい。そのためには、理解者、協力者を作ること。
 
 一人の短絡的な思考だけで戦うのは、武器が少ないというものである。
 
 イチかパチかではなく、何がどう出ても何とかしていくというのが勝負である。
 
 







2010年10月19日

【ドッジ】全国のドッジボールチームとつながりたい


 ドッジボールの魅力・魔力に取り付かれ、「ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト」を立ち上げました。
 
 全国には、数は少ないかもしれないけれど、公式ドッジボールチームという存在のチームが各地で活動、活躍しています。もちろん、公式チームではなくてもドッジボール大好きで楽しんでいるチームもあります。
 
 そんな、各地のチームとつながりたい。そんな思いが深まっています。
 
 そのきっかけとなったのも、大阪のある強豪チームとの出会い...
 
 やはり、直接、お会いして、話をすることで、”ドッジLOVE”を共有、さらに深まるんですね。
 
 できれば、全国行脚して、各地のチームの練習を見学して回りたいとそんな夢を持つようになりました。
 
 すぐには、無理かもしれませんが、つながりを増やし、深めていこうかと...
 
 情報交換というよりは、嘆き、歓声、喜びに、悔しさをネット上で共有できたら...と思ってます。
 
 そこから、何か生まれるか、何か生み出そうか... 楽しみに今は、オフの時間をこのサイトに注ぎ込んでます(笑
 
 ぜひ、全国のドッジファン、ドッジLOVEの方、そして、ドッジボールチーム、保護者の方、つながりましょう! つながり方は、いろいろありますので、お好きな方法で!
 
 WEB、ツイッター、FaceBook とその場を少しずつ作り始めています!
 
 そして、どんな”つながり”になるか、どんなパワーが生まれるか... 一緒に、ドッジボールを盛り上げていきましょう! マイナーなスポーツでもいい。そこに熱き魂があるのなら...
 

  
ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://www.dppmm.jp/
 
ツイッター応援ページ
http://www.dppmm.jp/twitter.html
 
応援ボード
http://www.dppmm.jp/bbs/honey.cgi
 
 
小生のツイッターアカウント
http://twitter.com/#!/kawakamiakio/






2010年10月18日

誇りと埃


 掲題は、どちらも「ほこり」です。
 
 人は、少なからず「誇り」を持ち合わせていなければ生きていけないと考えています。人それぞれ、身の丈にあった、器の大きさにあった誇りを手にしながら、自分を納得させて生きていかなければならない。
 
 しかし、身の丈以上、器の大きさ以上の誇りは、埃と化します。
 
 自分では、誇りと思っていても、周りからは埃と見えてしまう。そして、気の聞いた人からは、ご丁寧にその埃を取ってくれるときもある。しかし、誇りと思っている本人からすると、意にそぐわないので時には衝突してしまう。
 
 同じようなことが、自信と自慢。
 
 自信が、うまくコントロールできなくなると自慢と化す。
 
 自慢は、ときに他人に影響を押し付けてしまう傾向があるため、他人には受け入れがたい場合もある。
 
 こんなことを自問自答し続ける。
 
 今、思っていること、考えていること、行動しようとしていることは、誇りからくるものなか、自信からくるものなのか。それとも、挑戦なのか。
 
 埃に見えていないか、自慢になっていないか...
 
 埃も自慢も裏返し。
 
 スーツの襟が、気づかずに裏返ったまま着て、歩いているようなもの。
 
 自分では気づきにくいが、鏡を見てチェックすればすぐに気づく。
 
 誇りと埃、自信と自慢も同じようなものだ。







2010年10月14日

ビジネス・事業の失敗要因の一つ ”いいもの”


 よくビジネス・事業を進めるにあたって、計画を立てるわけですが、ここでサービスや商品の差別化を明確にしてウリにするわけです。
 
 でも、大きな誤解というか、夢と現実を履き違えてしまうのが ”いいもの” という概念なのです。
 
 いいもの = 売れる、受け入られる この方程式をつい立ててしまっていませんか?
 
 小生も多くのビジネスや事業を打ち立ててきました。他の会社、他の事業部での多くのビジネス、事業を見てきました。クライアントの事業にも参画して行く末を見てまいりました。
 
 サービス・製品を考え、売り出そうとするときは、他社のサービスや商品との違いを明確にします。その際、安いか、品質が良いものかのどちらかになる傾向があります。まったく新しいサービスとか商品であれば違うのでしょうが。
 
 画期的な違いや品質の高さというのは、大きな差別化になるものではあります。
 
 そして、「これはとても役立つものです」「他にはない品質の高さがウリです」と言います。さらには、「いいものは売れます」と確信します。いいものが売れないわけがないと...
 
 そして、どうなるか...
 
 そのほとんどが、失敗するんです。
 
 ビジネス・事業を考えるときに、品質のいいサービス・ものを作るということだけを考えて、そこで思考が止まってしまう。
 
 いいもの=売れる という方程式を過信し、いいものを作るところまでしか考えない。そして、実際、売り出し始めると、いいものということを伝えることが、いかに難しいことに気づくのです。いいものと分かっていても、それを理解してもらわなければ意味がない。いいものが自然と伝わることは、ある程度社会に浸透してからの話であって、その第一歩を踏み出すときの売り込み、拡販、PRは、非常に難しい別の次元の話であるのです。多くの”いいもの”が、残念ながらこの時点で世に出ないままに封じ込まれてしまう。
 
 本当に、いいものであれば、他の人も分かってくれる(はず)。いいものだったら、お金を出して買ってくれる(はず)。この(はず)が、”はず”れるわけです。
 
 実際、いいものであれば、拡販段階で、他社が真似して同様のものを安く提供してしまうかもしれない。また、世間は、そう言うほどの高い品質のものを求めていないかもしれない。
 
 いいものを売り出すのも、大きな要素なのです。これが、マーケティングと呼ばれる分野なのでしょう。
 
 いいものを作り出すだけでなく、どう売るか、どう拡販するかまでを考えて、じっとビジネス・事業のタネを育てていかなければならない。
 
 この部分が、欠落しているケースが非常に多い。
 
 まさに、売れるものを作るというのは、稀なものなのかもしれない。運と縁が加わって、初めて可能性が芽生えるもの。 なのでしょう...







2010年10月13日

朝カフェ次世代研究会へのツイッター参加


 2週間に1度。朝6時30分から有志が集まって、ビジネス関連をテーマについて考える場があります。通称:朝カフェ。朝カフェ次世代研究会。
 
 早朝、毎回30名程度の方々が集うのだから、凄まじい。
 
 一つテーマを定めて、そのテーマに沿ってプレゼンターを決めて、そのプレゼンと聞きながら、質疑応答しながら深めていく。
 
 単なる集まり、懇親会と違い、刺激的な集いなのでリピーターが多い。常連さんで顔なじみになることも楽しみの一つ。
 
 小生の場合、最近は、出張予定と重なることが多く、直接参加できないのが残念ではなるが、どこにいてもツイッターやUSTREAM中継があり参加できるのである。
 
 もっぱら、小生は、ツイッター参加。
 
 朝カフェに参加されている方々が、それぞれ、思い思いにツイートしてくれる。ハッシュタグ #asacafestudy をつけていただいているのでツイッター参加しやすい。ROM(ReadOnly Message)だけでも良いけれど、ツイートして参加することも可能。
 
 小生もつい、感想や意見や質問などをハッシュタグを付けてツイートしています。
 
 本日もその朝カフェ。テーマは、「プレゼンの心得」 プレゼンターは、永井( @takahisanagai )さん。
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2010/10/1013-11-asacafe.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
 
 小生は、その時間、夜行バスで大阪に向かって、到着する頃。朝風呂に入って、ネットカフェに入り込み、ツイッターにて朝カフェ参加です。
 
 それにしても、参加者の方々のツイートが適切で、分かりやすい。何名もツイートしていただいているので、時には、様々な視点からの掘り下げに面白い。
 
 そして、つい、ツイートしちゃう... 
 
 USTREAM中継の参加もトライしたことはありますが、断然ツイート参加の方が分かりやすし、おもしろい!
 
 時には、歩きながら、時には新幹線の中から、時には、ネットカフェから...しかも、勝手に参加できるので、気の負担も少ない。
 
 ぜひ、朝カフェに参加してみては?
 
 次回以降のお知らせは、ハッシュタグ #asacafestudy をチェック! 次回は、10/27かな?
 
 






2010年10月12日

【ドッジ】ドッジボールのない3連休 だけど...


 体育の日を含む3連休。体育の日なのに、我が家ではドッジボールに縁がなかった。珍しい。定例の土曜日の練習は、練習場の小学校が近くの保育園の運動会の会場となり練習不可。日曜日は雨で自主練習もできなかった。自主練習は、場所がどうしても屋外の公園になってしまう。月曜の祝日は、別の用事が入ってしまっていた。
 
 まぁ、たまには、ドッジのない日が続いてもしかたかんべぇと思い、気を取り直したところ。
 
 それでも、小生自身は、出張先の大阪にて、大阪のドッジボールの魅力にどっぷりはまっている方たち(彼らの中では、変態と呼ぶ)と座談会(彼らの中では、こう呼ばれるに参加してきた。
 
 スポーツドッジボール、公式ドッジボールに縁のない方には、不思議な集団かもしれないが、ドッジボールという何ともいえない素敵で、熱くて、かっこよく、得たいが知れなく、奥が深い、何よりも楽しい競技に身も心も投じている人たちである。
 
 小生自身も彼ら、いや変態たちと縁あって、出会い、引っ張られ、変態と化してしまうのだから、ドッジボールとは魅力あるスポーツなのである。
 
 小生と変態たちとの縁というのも、ブログであるというのだから、まさに、時間と距離・場所を越えてつながったのだから、これまたおもしろい。
 
 おかげで、小生も東京の変態という名誉ある称号を頂いた...
 
 小生自身は、ドッジボールの応援パパである。大阪の変態たちは、大阪の最強チーム(言い過ぎ? でも、大阪を長年連覇しているチームなのです!)の監督、コーチたち。
 
 先日、大阪で練習を見学させていただいたが、レベルが高い、高い。
 
 そんな変態たちが、熱く語るドッジボール。そして、子どもたちへの愛。かたり始めると、会話が真剣勝負! すぐに熱くなる! それに、引き込まれるように小生も変態化していく。
 
 あっという間に、座談会の時間が過ぎていく...
 
 お土産に、ドッジボールチームの全国大会の試合、埼玉での遠征時の試合のDVDを頂いた。(ありがとうございます!!)
 
 出張を終えて、自宅に戻り、家族全員でDVD観戦&研究...
 
 この3連休。ドッジボールのボールには触れられなかったが、その分、しっかりとレベルの高い試合をDVD研究。小3の息子には、まだまだ、課題が多い。
 
 DVDで、一番驚いたのは... キッズたちの動きの速さと機敏な態度。そして... 観客席の応援ママたちのド迫力のある声援。さすが、大阪。発する言葉のえげつなさ(すみません m(_ _)m )。それを子どもたちに浴びせかける。でも、その中に愛を感じるのも事実であり、さらに上を目指す、目指して欲しいという期待が込められている。
 
 東京の応援パパママも負けてはおられん! 声援・応援に、限界はない! と夫婦で話しあった...
 
 またさらに、ドッジボールの奥の深い部分に首を突っ込み始めています。
 
 
 
 
ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://www.dppmm.jp/
 
ドッジボール 応援ハッシュタグ
#dppmm
http://twitter.com/#search?q=%23dppmm
(ドッジパパママを覚えてください)
 
ドッジボール応援リスト
http://twitter.com/#!/kawakamiakio/lists/dodgeball
(リストをフォローしてください)
 
小生のツイッターID
@kawakamiakio
http://twitter.com/#!/kawakamiakio







2010年10月07日

日本人のノーベル化学賞 おめでとうございます


 日本人のノーベル化学賞の受賞の報に、日本人としてうれしくも、誇らしくも感じます。
 
 TVや新聞では、クロスカップリングを分かりやすく、報道されていますが、分かりやすく説明なんかできないですし、理解なんかできるわけもない。それでも、どんな研究なのか知りたくなるのも自然な流れ...
 
 ノーベル化学賞では、3人が受賞され、2人が日本人。
 
 小生も様々なTVを見て、その状況を垣間見ています。
 
 今回も(やはり)アメリカの大学での研究なんですね。その研究者が日本国籍を有していたという側面が強い。
 
 また、クロスカップリングの研究をされていて成果を出された方も多く、3人が受賞されましたが、それ以外の方も大きな成果を出されている人が多いといいます。
 
 アメリカの開かれた環境、受け入れの文化、そして、日本人の緻密な頭脳が融合した大きな成果だったのだと思うのです。
 
 しかし、”50年という歳月の結果” 研究発表されて”30年”後の受賞。
 
 一つのものを追い続ける姿を見て、負けられないなと思います。いや、負けずに頑張らねばと思うのです。
 
 しかし、クロスカップリングという言葉も知らなかった。しかし、このクロスカップリングのおかげで、私たちの生活が豊かになっているという事実。
 
 きっと、まだまだ、私たちが知らない偉大な研究がされていて、私たちの生活を豊かに、支えているものが数多く存在していることと思うのです。そして、このように脚光を浴びるのは、その中も極わずか。
 
 多くの研究や研究者は、影のまま私たちの生活を支えてくれている。
 
 小生も”継続あるのみ”と心に刻むのでした。大きな仕事ではないですが、自分自身にできることをやり続けるのみです。
 
 それでも、日ごろの研究の苦労と成果が大きな賞となって形になった。とても誇らしいことです!







2010年10月06日

競争の経験が極端に少ない子どもたち


 いつの頃から、日本の教育現場での過度の競争を避けるようになりました。
 
 以前、ゆとり教育が崩壊したように、無競争教育・非競争教育も崩壊するのではないかと思うのです。
 
 キーワードは、”過度の”競争。競争をすべて排除する傾向になっているのではないでしょうか。
 
 運動会では、徒競争でも順位を決めず、勝ち負け競技が激減し、組体操やらダンスなどの発表系が激増。運動会が、学芸会化しています。
 
 もちろん、敗者への配慮は教育現場では必要ですが、競争を排除するデメリットの方が大きいのではないでしょうか。
 
 勝つという感覚、達成感、喜び。それを得るための努力、練習、勉強、継続、忍耐。これらも無競争社会、非競争社会ではなくなりつつあるように気がします。
 
 教育環境を離れ、一般社会に飛び出せば、身の回りは競争だらけなのに...
 
 教育とは、一般社会に順応させるための期間、機関であるはなのに一般社会とはかけ離れた理想の環境をお膳立てしすぎてしまっている。
 
 そんな気がしてしてなりません。
 
 日本人気質といえば、そうなのでしょうが、生活社会、ビジネス社会は、競争、争いごとだらけ。その中で、勝ったり、時には負けたり、戦うのを憂慮したりと駆け引きしながら、生きていかなければなりません。
 
 先般の尖閣諸島の中国に対する日本政府の対応を見ても、なんだか争いごとを避けすぎてる気がします。もちろん、外交という複雑な問題が絡み合った問題ですからそんあ簡単に語れないとは思いますが...
 
 我が息子(小3)は、今年からドッジボールという競技にのめりこみました。今まではどちらかというと仲良しクラブのサッカークラブに入っていたのですが、このドッジボールクラブは、全国大会を目指すような体育会系のクラブ。大会の緊迫して、緊張感ある試合、そして勝ったときの喜び、負けたときの悔しさを目の当たりにして、今やその世界に夢中になっています。
 
 チームの中でも競争です。学年を超えて、レギュラー争いは熾烈です。面倒を良く見てくれる先輩と対等に扱われる優越感も時にはあるでしょうし、その中でレギュラーから外される悔しさやそこから得られる自分自身への期待。同学年の仲間の間では、負けられないという緊張感。優越感、劣等感。
 
 すべて、競争から生まれる大事な財産だと思うようになりました。
 
 かくゆう小生も、受験戦争を勝ち抜き、野球という体育会系の競争社会で青春を打ち込み、多くのものを得て、今、生活、ビジネスを生き抜いている。
 
 決して、無駄な、意味のない戦いや競争や争いは、望みませんが、小さな戦いや意味のある争い、有意義な競争は、あって然りだと思うんです。
 
 ”過度の”競争を避ける風潮が、少しでも収まり、子どもたちもが、”切磋琢磨”できる環境に近づくことを望んでいます。
 
 その中で生まれ、育まれた友情、感情、感覚は、かけがえのないものだから...







2010年10月05日

窮地とはいかなくとも ピンチの場面に立ったとき


 ビジネスでも、普段の生活でも、困ったとき、ピンチになった時にどう行動できるか、何を考えるか。これが、重要だともいえます。    平和に過ごせているときと、ピンチになったと時とでは行動パターンも思考パターンも変わらなければなりません。しかし、ピンチの時の行動・思考パターンは日頃は見ることも経験することもできないので、ふと起きた時に垣間見れるわけです。    窮地に立ったときは、あらゆる事をさしおいてその状況を打破しなければなりませんから、余裕なんてないでしょうし、考える余地もないでしょう。その場面をどう切り抜くかが第一優先ですから。    しかし、ちょっとしたピンチの場面というのは多かれ少なかれ、大小見舞われると思います。そのときの行動・思考パターンが、あなたの一つの実力を指し示しているのかもしれません。    困った場面、小さなトラブル、ピンチ... あなたはどう捉えているか。    もちろん、その状況の程度にもよりますが...    考えるべき・行動すべき点は、 ・事実確認 ・応急処置 ・本質的対策処理 ・原因追求 ・再発防止 ・責任の所在 ・責任追及 ・アフターフォロー では、ないかと思います。    よく見かけることは、まず、責任の所在を追及し、それが自分でない事を確認すると、責任追求を先んじて、必要以上に責任者を追い詰めてしまうこと。    つい、行いがちな行動パターンです。    そう、意識していなくとも... ・直接、担当者と対話、もしくは電話で対話して、高圧的な口調になって問いただしてしまう。 ・事実関係の整理しないまま、責任者や担当者に対策を対策を指示してしまう。 などなど    責任の追及こそが、事態打開の解決策だと勘違いしている方が結構多いのです。仕事柄、様々なプロジェクトに参画していて、時には、ピンチになっている、SOSをあげているようなプロジェクトに助っ人で入って、解決することもありますが、多くの場合は、責任という言葉が飛び交っているのです。    責任という言葉で解決を図ろうとするのは、2流、3流の管理者のやること。    管理とは、プロジェクトをよい方向に進ませることですから、責任はその歯車の一つであってしかも、それほど大きくない存在として扱うこと。    事実確認と応急処置が最優先ですが、これを一番よく知っているのは現場の担当者。この担当者の意思や意図や経験を無視するように、上から指示を出すのは間違ったやり方。まず、担当者を冷静に指せて、思考させて、解決案を出させる。その解決案に対して評価しながら修正して指示とする。    まずは、これを行うために、時として直接会わない方がよい場合あるくらい。管理者がその場にいない場合などは、メールや電話で報告させて、メールや電話で指示を出す方が、担当者が冷静に思考しやすい時もある。    管理者も担当者もピンチの場面に立ったときに、どう振る舞えるか...     ビジネスでも日頃の生活でもピンチを打開することが、実力が試される時。    その方法や手順、”行動”や”顔の表情”や”声のトーン”など、どのようになるのか...    この対処こそが、真価であり、信頼される要因であり、実力なのかもしれません。




2010年10月04日

忙しくしすぎる人、忙しいと誤解している人


 よく感じることですが... 忙しい、忙しい...と表現している人は結構多い。表現という言葉を使っているところに注目です。
 
 忙しい=仕事ができる という、方程式が先入観として存在しています。
 
 忙しくしていることで、安心することもあるでしょうし、自分自身の価値を高めに見せようとしていることもあるでしょう。
 
 でも、客観的に、冷静に、第三者的に見たときに、必要以上に無駄な動きをしている、忙しくないのに、忙しいと思ってしまっている、忙しくないのに、忙しいフリをしている方が多いこと、多いこと...(嘆
 
 皆さんが表現している程度に忙しいのであれば、日本はもっとGDPが上がり不景気も吹き飛ばしているのではないかと思ってしまう。
 
 日本に限らないとは思いますが、仕事を時間で管理する傾向がこのような表現方法を生み出しているのではないかと思うのです。
 
 勤務労働時間...長く働けば、報酬が多くもらえる。残業手当しかり。
 
 逆に考えれば、同じ仕事でも、要領よく短時間で仕事を終わらす人と、要領悪く時間をかけて終わらす人がいた場合、時として後者の方が評価が高く、報酬も多くなることは無きにしも非ず。
 
 この発想からか、必要以上に忙しくしたり、自分は忙しいと誤解する人が発生する。
 
 これも管理術の怠慢から生まれた文化。結果の評価の軸を一番測りやすい時間軸を重視してしまっているのだと思うのです。
 
 効率性、達成度、完成度、将来性、危険性、満足度など、評価する方にとって面倒で、複雑な軸を捨ててしまっている。
 
 しかし、経営者や管理職自身となると、評価するのもされるのも自分自身という(よく見れば、それだけではないのですが)機会が多くなれば、必然と時間という評価軸が薄れてくるのですが...
 
 忙しい、忙しい...を口癖にしている人は、本当に忙しいのか、忙しく見せているのか、忙しいと誤解していないか、きちんと見直すことも必要だと思います。
 
 えっ、私ですか?   ボチボちでんなぁー (笑







2010年10月01日

いつも に流されないために


 小生の生活、特に、ビジネスライフは最近定常化、固定化されつつあります。
 
 月曜、火曜は、会社に出社するものの、経費精算や資料作りやプリントアウト。そして、東京のお客様や業者周り、打ち合わせをこなします。
 
 そして、水曜から金曜は、関西方面で出張。毎週です。
 
 お客様のところでお伺いして、打ち合わせや作業をこなします。その一方、関西方面の業者との打ち合わせなどをこなしましています。
 
 こんな生活リズムが、3年ほど続いているでしょうか。
 
 こうなると、”いつも”に馴染んでしまうわけです。いいこともあるでしょうが、悪いことも出てきます。
 
 ”いつも”というペースに流されてしまい、新しいことが生まれにくくなることもそのひとつ。
 
 経営者、管理職ともなれば、”いつも”をこなしているだけではダメなわけです。
 
 絶えず、新しいもの、何かと呼ばれるものを生み出し、創り出し、見つけ出していかなければならんのです。
 
 ”いつも”は、作戦をお金に変える工程。しかし、”いつも”は、いつもあるとは限らない。”いつも”がなくなることを想定して、ビジネスを進めなければならないわけで、理想は、”いつも”の内容が少なからず入れ替え、変化していかなければならない。
 
 そのために、”いつも”を脱却し、変化を作り、その中から”新しいもの”を生み出していく。

 
 この視点、価値観を持つか持たざるかで、”いつも”が長続きするかしないかにつながる。
 
 つい、”いつも”が、ビジネスのメインの工程と思いがちです。間違ってはいないでしょうが、それだけでは、サラリーマンの考え。
 
 ”いつも”に流されず、その流れに乗りながらも、”いつも”に何かを加え続けていく考えが経営者、管理職には必要になってくるのです。
 
 ”いつも”に圧倒されながらも、押し返して、さらに、”いつも”に加えていく
 
 成功している経営者や管理職は、これができている。
 
 ”いつも”に変化を。これが、その第一歩かも。
 
 いつもに流されないために、いつもを考える。あなたの仕事は、どうですか?







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