WBI コンシェルジュのブログ
WBI とは、Working、Business & ICT。WBI コンシェルジュとは、働き方の見直し、業務改善、ICT活用の支援・相談役です。                                                                           
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2011年07月29日

その働き方で良いのですか? (2)


その働き方で良いのですか? (2)

朝、通勤ラッシュの中でもまれて、昼はランチ戦争、夜は、残業、ちょっと一杯。こんなビジネスライフが、当たり前。というより、これしか選択の余地がないというのが一昔前でした。

会社としては、時間=売上=利益 でした。そして、仕事=作業であり、チームジョブが多かったように思えます。

しかし、現在。仕事の中身が変わってきました。それ以上に、環境の変化があります。親の介護、共働き、子どもの養育、プライベートライフなど、男性といえども仕事だけというわけにはいかなくなりました。その分、女性のビジネス進出が当たり前になり、働き方の変化を余儀なくされてきました。

仕事はしたいが、残業できない。こんな時間的な制約が、男女ともに課せられていく中で、会社も変わらなければなりません。

優秀な社員が、働き方が合わずに転職していくことは避けなければならないでしょうし、社員自身も慣れ親しんだ環境を離れていくのは本位ではないと思います。

そのために会社がまず変われるか。

働き方の改革は、そう簡単なことではありません。ルールだけを変えたところで、上司や同僚の意識が変わらなければ、形骸化するのは目に見えています。

そのためには、とことん話し合うこと。伝え続けること。意見を吸い上げること。評価の中身を変えること、などとやるべきことは多いのです。

会社がまず、変わらなければ... 5年後は、優秀な社員がいなくなってしまうことになりかねません。

今、時間をかければ、売上が上がるという方程式は崩れました。逆に、残業代は、利益を圧迫するだけでなく、光熱費などは節電にも反します。

どうすれば、売上、利益を確保しつつ、働き方を流動化できるか。個人に依存しないことも大事、時間と場所の自由度アップも大事。その分、セキュリティも確保しなければなりません。いずれも、会社の指示だけでなく会社と社員の意識の共有が最も大事なことです。

時間をかけて、共有することを今から始める。今を理解し、将来に対応する。

働き方を変えることで、仕事の効率を上げる。

できないわけがありません。







2011年07月28日

経験、実績、過去は消せないけれど...


経験、実績、過去は消せないけれど...

変化の激しい今日、過去の成功実績や経験は、成功への特急券ではなく単なる駅弁のようなものなのかもしれない。あったらあったでいいけれど、なくても困らないもの。

人を判断・評価する場合でも、プロジェクトを進行、評価する場合でも、過去どんなことをしてきたか、どんな実績を積んできたかということは、無視できないが、絶対ではない。しかし、どうしても、見えるモノ・コトでしか、信じられない人が多いのも事実。また、評価も主観が入らないように見えるモノ・コトを高く評価する傾向があるのも事実。

しかし、本当に大切なのは、将来に対する期待値である。

この人は、この先、どんな仕事をしてくれるのか、このプロジェクトは、どんあ成果をあげてくれるのか、という期待値こそが評価の軸でもある。

もちろん、終わったモノ・コトについては、きちんと実績や結果について評価していかなければならないが、今から始まるモノ・コトについては、過去の実績よりも将来への期待値が評価の軸になって欲しい。

ただし、将来の期待値高めるために、過去の実績や結果は大事な要素となる。確率論でもある。過去を全て捨てて考えろというのは無理があるし、現実的ではない。間違っているとも思う。ただ、それは、一つの材料であって、それ以外に働き方や経過、結果の出し方などを総合的に判断して期待値を積み上げていることに注目して欲しい。

相性とか、得手不得手、得意分野など... 期待値を左右する要素は結構あるもんだ。これらをきちんと組み込んだ評価をするのが、上司であり、会社である。

過去と同じやり方でやったとしても、成功するのは限らない。そのやり方の中に、成功要素はあるがコピーでは上手くいかない。状況も時も景気も全く同じシチュエーションはありえないからだ。

頭で分かっていても、どうしても目に見えるモノを評価しがちになってしまう。思いきった判断の先に思いがけない成功がある。そう思うしかない。

過去は捨てられない、捨てることもない。ただし、それは絶対ではない。







2011年07月27日

その働き方で良いのですか? (1)


その働き方で良いのですか? (1)

働く... 生活の基盤。前提と言えるかも知れません。

でも、働き方って考える余地があり、その考え、行動によってリターンが違ってきます。働きがい、効率、報酬...

多くの会社員は、会社のルールの中で働かざるを得ません。

出社時間、休憩時間、退社時間、残業... 決済範囲、指揮命令権...

様々なルールがあり、統制を取ります。それが、会社です。

小生は、被雇用者ではない経営者の端くれであり、基本的には一人で活動しているのでルールはあってないようなものなのですが、その分、働き方について考えることも多く企業様にもアドバイスをさせていただくことが多くなってきました。

今までの社会は、働く時間に比例して売上が伸びる時代でした。つまり、働けば働くほど会社にとっては利益を生む時代。そう、10数年前まではそうでした。仕事があり、こなす時間をどう作るかという考えが主流でした。だからこそ、残業もすればするほど会社は儲かる。その結果、残業代もそれなりに出ていたように思います。

しかし、今はどうでしょう。仕事は減少し、経費も削減が経営者が手をつける要素となり、働き手自体も削減の方向にシフトし、残業なんてもってのほかという時代です。

働くという考え方、働き方、成果の出し方、仕事の見つけ方に変化が出てきましたが、なかなか、会社自体も会社員も経営者も10数年前のルールを帰られず、考え方も変えられず、非効率なルールの引きずっているような気もします。

まずは、自分自身の働き方を考えてみませんか。会社のルールは、一人では変えられません。ならば、与えられた環境で、自分自身の働き方を変えてみようと意識を変えることから始めましょう。

365日24時間。この時間をどう使いたいのか、何に使いたいのか、どうしたいのか、何に使いたいのか。明確になっていますか? 単に、働くこと自体が目的となって、ダラダラと働くことで満足していませんか?

1週間後の今日、24時間、自由に使えるとなったならば、あなたは、その1日を過ごしますか? 計画を立てられますか? 逆に言うと、計画すら立てられない人が多くいるのです。時間をもてあますと言いますが、やりたいことがない。休みたい。リフレッシュしたい。ということも実は、やることがないという状態なのかもしれません。

働くことが、目的になっていれば、それは、ダラダラと働こうが、てきぱきと働こうがどっちでも良くなります。

でも、強制的に時間の制約を受けてしまったらどうなるでしょう。親の介護、家族の病気、子どもの世話... これからの日本、社会は、時間の制約を受けていく時代になっていきます。つまり、否応なく働き方について考えていかなければならなくなる時代がすぐ目の前にあるのです。

では、どう考えていけばいいか... 少しずつ、考えていきませんか。

そのヒントなるようなことも、今後、少しずつアップしていこうと思います。






2011年07月26日

照れくささ は、ときに甘えとなる


照れくささ は、ときに甘えとなる

一生懸命にやることは良いことであり、当たり前だと考えておられる方は多いと思います。しかし、ときに一生懸命やることが照れくさく感じて、わざと手を抜いたり、楽してしまうケースがあります。

特に、”慣れ”がそうさせるケースも多い。

例えば、ドッジボールの審判。ドッジボールに限りませんが、大きな大会や試合での審判は、キビキビとテキパキと動作を示し、大きなコールをします。審判の晴れ舞台でもあるかのように。

しかし、練習試合や小さな大会では、そのキビキビした動作をすることが、照れくさかったり、慣れから手を抜いてしまったりする。

いわゆる、最低限の仕事だけをするようになり、あとの余計な、余分なところは良い意味で適当に流すようにする。

決して、全てが悪いとは思わない。しかし、そんな人でも、大きな大会や手本を示すようなシチュエーションでは、キビキビとした動作をするのですから、やはり、どこかで手を抜いているのでしょう。

プロ野球の投手は、よく解説者が「1試合全てを全力で投げることはせずに、打者によって手を抜かなければならない。」といっているケースがあります。手の抜き方もテクニックなのでしょう。しかし、それは、照れくささとは大きく違います。

一所懸命、全力で... このキーワードを掲げる以上、全ての場面でテキパキと手本となるような行動をしなければならない。そう、強く感じるようになりました。

どんなときでも、一所懸命、全力で行うからこそ、大きな場面、大事な場面、勝負どころでも自信を持って行動できるようになる。

場面、状況で、行動を変えることは、一つの甘えであると思うのです。

周りの目も「なんでこんなところで一所懸命にやってるの?」なんて声があるかもしれません。でも、それは、もしかしたらまだ自分自身一所懸命になっていない証拠かもしれません。本当に、一所懸命にやっていればそれは相手にも伝わります。伝われば、そんな失礼な言葉や感想、印象にはならないはずだと考えます。中途半端なことをしているからこそ、そう感じてしまう。

一所懸命やること、全力でやることは、良いことです。ならば、あとはやるだけです。そこに、照れくささなんてありません。それを感じるということは、甘えがあるということ。

一所懸命にやるだけです。






2011年07月25日

人を落とせる人 自分が落ちちゃう人


人を落とせる人 自分が落ちちゃう人

世の中は、生きるか死ぬか。少し、大げさだけど、自分のペースで生きるか、相手や周りのペースで生きなければならないかの違いは大きい。

自分のペースにするには、一人では生きていけない社会だけに、相手をある意味で落とさなければならない。

しかし、相手を落とせる人って、自分が若いことに比べて激減しているように思えてしかたがない。魅力ある人が少なくなって、うさんくさい人が増えた。

なぜだろう? 自分がその奥底を見分けられるようになったから?

いや、違うと思う。

他人に自分の意見を主張できる人が少なくなったと思う。

ある日、ラジオを聴いていたら、「女性の3分の2は、彼氏がいない独り身」だという。裏返せば、男性も同じ割合で存在するだろう。

ナンパもしなくなったという。小生自身、あまりナンパはしなかったが、女性とどう知り合って、仲良くなろうかと考え続けていた時期は短いながらもあった。が、今の若者は、ゲームや携帯など一人で過ごしたいと思う傾向が強いのだという。

他人に自分を主張する経験がない。否定されるのが怖いから?!

だから、相手に合わせちゃう。自分が落ちちゃう。

どこかの首相のように、他人も落とせず、自分も落ちない人もいるみたいだけど...ww

人を落とすには、自分自身が楽しくなくちゃ、楽しまなくっちゃ、信じ込まなくっちゃ伝わらない。伝えきれる人が少ない。

もう一つ、感じるのが、信念を持っている人が少ない。同じことを、信念もって長く続けている人も少ない。すぐ、やめちゃう。これでは、いいものを伝わらない。

人を落とせる人って、やっぱり素敵な人。素敵な人だから、落ちちゃう、落とせちゃう。

人の魅力は、理論じゃない。生き様でもある。付け焼刃では、はがれちゃう。

一生懸命、相手を落とす! ということに徹することができるか。

逆言うと、いいものには自分が落ちちゃうことも大切。ただ、ろくでもないものに落ちちゃうのは危険。

結局は、感性。

人を落とすのも、人に落ちちゃうのも。

感性は、まじめな取り組みから生まれるもの。つまりは、まじめにやり続けること。

今日より、明日、明日より明後日。

自分を主張することは、方法を間違えなければ、大切な武器である。方法を間違えると、爆弾にもなるが...

人を落とせるだけの感性を身につけることができれば、応用も効く。

人の言うことの良し悪しも感性で判断できる。

人と関わることが大切。人と会うことが大切。

自ら、人と関わるパワーとお金と時間を人と会うことに投入できるか...

最初は、嫌でもやってみる。そして、続けてみる。そしたら、楽しくなる...かも。
小生もまさに実践、修行中!






2011年07月22日

あまり考えすぎないことも


あまり考えすぎないことも

ビジネスもプライベートも仕事も遊びも自然な流れというものがあるように思えます。

一瞬、一瞬、状況判断し、最善の方法を見つけ出し、選択、検討、決断していくことはなかなか大変なことであり、全ての瞬間で行うことは不可能です。

このことをまず認識することが大事。

つまり、ほとんどの時間の流れでは、判断をせず、時の流れ、状況のまま、言われるがまま、感じるままに判断し行動しているのです。

時や状況の流れにそのまま乗るときも、違和感があって止める場合もあるでしょうが、知らぬ間に、自然の流れに身を任せていることが多い。

自ら意識的に決断するとその結果は知りたいでしょうから、印象に残るでしょう。しかし、無意識に、流れに乗った場合は、その結果を認識しようとすることも少ないためか、運命だとか、自然の流れの結果として受け止めることが多いようです。

大事なのは、ほとんどが自然な流れ、時の流れ、状況の流れに身を任せていること。つまり、あまり、自分で、決断しようとか、絶対に良くしようとか、思わないことも大事であり、それが自分自身のほとんどの時間がそうやってきて今があるということを知ること。

このことは、考えなくっちゃ、決断しなくっちゃと、どうしようか悩んでいるときにふと思い返すと気が楽になります。

自然な流れに身を任すことも、今までの自分の貴重な経験や勘から作り上げた自分自身です。自信を持って、考えないということをすることも大事です。







2011年07月21日

人を巻き込むこと 人に巻き込まれること


人を巻き込むこと 人に巻き込まれること

ビジネスでもプライベートでも人との関わり、関係は、重要であり、楽しみでもありますが、どう巻き込んで、どう巻き込まれるかは最初は神経を使います。

まだ、顔見知りになる前、関係を築く前、どう、人に接近し、どう行動し、どう発言するか、誰を味方にするか、誰を頼りにするか... 様々な神経を使っているのではないかと思います。

人を見ていると、あまり考える間もなく飛び込んでいける人もいれば、もじもじしながらジワリと近づいている人、人それぞれだと思います。小生自身は、結構神経を使いながら接近し、意識的に行動し、打ち解けていくようなタイプです。

気に留めていることは、最初こそ、見学者ではなく参加者になること。意識的に参加する、参加したいという気持ちを無理やりにでも持って行動、発言することです。

自分の居場所というか、存在感を確立したい。そうすれば、その新しい環境が自分の環境になる。そう信じています。

それには、なんらかの縁が必要です。誘ってくれる... 対応してくれる... 相談に乗ってくれる... 気にしてくれる... 様々な人からの縁や配慮があって、打ち解けていけるものだと思うのです。

そのために、遠慮し過ぎない。待ちの気持ちを持たない。期待しすぎない。ということも大事。

こんなことを配慮して、周りも自分も良い環境、良い関係ができれば、それは、大きな楽しみになりますし、そこからまた新しい縁が生まれす。

存在感が定着すれば、少なからずその周りの人たちを巻き込むことが初めてできます。自分の意見が言えて、通るようにもなります。しかし、そうなるためには、人に巻き込まれて周りに入っていくことが前提となるでしょう。

縁があって巻き込まれて関係ができる。そしたら、また縁を使って人を巻き込んで関係を広げていく。この気持ちこそが、楽しみを作り、広げていくキーワードだと思っています。

人に巻き込まれる方法。これこそ、人それぞれですが、巻き込まれる人の気持ちを考え、配慮しながらも、やりすぎないで入っていく。その最初の行動こそ、コツがあるのではないかと思います。






2011年07月20日

【ドッジ】第21回全国ドッジボール選手権大会 東京都大会 予選敗退


【ドッジ】第21回全国ドッジボール選手権大会 東京都大会 予選敗退

16日(土)、第21回全国ドッジボール選手権大会 東京都大会が、駒沢公園体育館で開催された。

3つの地区予選を経て、30チームが一つの東京都代表の座を争う大会である。

優勝チームは、8/21の全国大会の出場件がもらえる。

東京都の状況は、個人的な意見だが、今年に限っては、絶対的な強豪チームは存在せず、強豪と呼ばれる10チーム前後が実力伯仲、だんご状態ではないかと感じている。

その中で、息子のチームは、強豪チームの端くれながら、実力的には一歩も二歩も差を付けられていたのが、春の戦いぶりであった。

息子のチームは、昨年の春、全国大会の東京都大会で優勝したのだが、不運にも3.11の大震災の影響もあり、全国大会出場の道が閉ざされたことがあった。しかし、新チームになり、多くの6年生の卒業の影響もあり、なかなか上位のチームに勝ちきれない状況が続いていた。

そんな中、1ヶ月くらい前からだろうか。少しずつ、上手くなってきたきていることが見ていて、実感できるようになってきた。とはいえ、一歩一歩の亀の歩みような成長に、全国の切符はまだまだ夢の先のような状態で迎えた大会だった。

4チーム毎の予選リーグの上位2チームが決勝トーナメントに進める形式である。息子のチームは、ぎりぎりの勝利を続けながらも3戦全勝でトーナメントへ。

1回戦は、それなりに戦えて勝利をつかみとった。トーナメント2戦目の準々決勝。ここからが3セットマッチとなる。しかも、相手は、個人的にだんご状態の中でも今年、実績のある強豪チームとぶち当たる。まさに、勝負どころの戦いである。私の記憶では、今年の春、何度か練習試合や他の大会で対戦しながらも1回も勝てない、しかも、実力大差で敗れている相手であった。

第1セット、予想外にも接戦のいい試合を見せてくれる。パスがつながり、相手のアタックもナイスキャッチする。とはいえ、絶対的なアタック力がなく、アタック力の差が出て、小差で負けた。息子が、試合早々にアタックされ外野に出されてしまったことも大きい。

第2セット。息子は、先発から外された。それほど、厳しいチーム内での戦いでもある。第1セットと同じような緊迫した内容の試合。お互いがナイスキャッチの連続。その中でもパスをつなぎながらリズムを作って何とかアタックしていく。ブザーが鳴ると、内野人数は同数。延長サドンデスとなった。ジャンプボールを取られ、パスを回される。しかし、今までと違ってすんなりとしたパスではなく、内野がポロッ、ポロッと途切れ途切れのパス回し。嫌な予感... と思った瞬間、ドンとアタックされてはじいてしまった。まさにサドンデス...

まさに、惜敗。

とはいえ、試合後、あれ? もしかしたらって思えたじゃんという不思議な感覚。戦前は、正直、圧倒されて負けてしまうかもしれないと思っていた。しかしかし、その戦いぶりに大きな成長の跡がうかがえた。個人的には、うちのチームも東京都のだんご状態の一員に入れるかもしれないと...感じた、思った。と思ったら、急に悔しさが倍増してきた。

夏の大会は、残念ながら終わった。しかし、春の大会がまだ先に残っている。ここまで、短期間で成長するには、選手たちの怒鳴られ、叱られ、でも、褒められ、結果を求め続けてきた努力と汗、時には涙があることをみんな知っている。

親としても、息子が大事な試合から外されたことには、ショックを隠せないが、息子もまだそれだけの実力なのだ。息子に求められている今のチーム、今の段階での役割は、ディフェンス力。今まで、それなりに結果を出してきたと思っていたが、大きなこの大会でアタックされたことも一つの事実であり実力である。

この晩、チームは、選手、スタッフ、父兄、OB・OGたち60名を超えるチーム関係者が一同に集った。大会報告会、激励会、反省会...名目は何でも良い。この人数がこれまた凄い。夏の大会までの苦労をねぎらい、また新しいチーム作りのスタートを切る節目の食事会となった。

親父たちも別卓で集い、ドッジ談義に花を咲かせる。そしていつの間にか、10年前からのチームの歴史の話しになる。チームの歴史の勉強会でもある。

そして、長い、長い1日が終わった。

我が家では、3連休の2日目、3日目と親子でドッジ談義。

息子の試合から外された悔しさ、今のチーム事情、東京都の中の強豪状況、そして、その中で、春に全国に行くための考えをトコトン話しあった。まさに、リセットである。

息子は小4。6年生の最後の年というプレッシャーはない。しかし、同じチームのレギュラーとして共に戦うのであれば同じ気持ちにならなくてはならない。その上で、今年、来年、再来年の目標を考えさせた。自分ができること、自分がやらなければならないこと。

私の考えは、エースアタッカーになることが目標。相手から恐れられる... しかし、今のチーム事情では、ディフェンスが前提スキルである。その中で、上級生が、外野に出されたときに、サブアタッカーとして試合を作ることが求められる。

そのために、どうすればいいか... 人よりも多く投げること。そして、人よりも多くキャッチすること。これしかない。細かい指導は、監督・コーチから学べば良い。私は、人よりも多く投げ、キャッチさせる環境を作る。そう、自主練習を一緒に行うこと。

ドッジボール、正直、サッカーや野球の人気に比べると見劣りするくらいのマイナースポーツかもしれない。でも、その分、全国大会の道は短い。全国大会というステージの意味は人生の中でもとてつもなく大きいことなのだ。だからこそ、チャンスでもあり、息子と家族と全国を目指せる環境にいられることに感謝している。そして、全国大会に出たいという思いがいっそう強くなった。

そんな3連休だった...


第21回 全日本ドッジボール選手権 東京都大会 結果

日時:2011年7月16日(土)
会場;駒沢体育館

優 勝: 相生ガキーズ
準優勝: ブルーインパルス明石
3 位: WAKABA-CLUB
4 位: 女塚ゴッチャンF'S


ベスト8

桜川DBC
Vegaes源氏前
道塚ドリームウィングス
IRS FINAL

ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://www.dppmm.jp/

Dodge Ball Village ~ドッジボール村~
http://www.facebook.com/dppmm

#dppmm






2011年07月19日

ビジネスに携わっている以上、あなたはプロ


ビジネスに携わっている以上、あなたはプロ

ビジネスのプロフェッショナルとは?

ビジネスで、給料や報酬を得ている以上、プロフェッショナルです。つまり、あなたも私も。アマチュアではありません。

ただし、”プロ”と表現できる人は、なかなかいません。

プロだなぁと思える人と、そう思えない人の違いは何か。

いろいろな視点やポイントはあるでしょうが...

人は、お金を支払う以上、そのお金と同等、もしくはそれ以上の期待値を持っています。そして、その対価としての成果、リターンが、期待値を上回る人がプロといえるかもしれませんが、そもそも、これは当たり前であって、プロではないと思うのです。

では、プロとはどんな人か...

ビジネスでは、モノを売る、サービスを売るなど様々なビジネス行動を伴い益すが、
ほとんどの場合、言葉に出さなくとも
「プロなんだから、...」
「さすが、プロ!」
「それでも、プロ?」
という印象を持つはずです。

そして、その言葉、印象に対して、きちんと受け止められる人がプロなのかも。

ビジネスですから、全てが完璧に行えるわけがありません。失敗や期待値を下回ることも少なくありません。

しかし、そのような場合こそ、言い訳をせずきちんと責任を取り、もしくは、代替のアウトプットを出して満足度を下げない人こそがプロではないか。

言い訳したり、逃げ出したりする人は、必ず、繰り返します。逃げ道を持っているわけです。その逃げ道があれば、いつもその道を使っちゃいます。次はちゃんとやろうとそのときは思ったとしても、ちょっと失敗した場合でも逃げ道に逃げ込んじゃう。そして、体裁だけは整える。だから、失敗したと見られない。でも、それは、失敗なのです。失敗しても、振り返らない、省みなくなるので、成長しなくなる。これを良しとする。これでは、プロとはいえない。

あらゆる結果を受け止め、責任を取り、その時点から最善のアウトプットを出そうとする人。これがプロ。だから、お客さんは安心できる、信頼を寄せられる。逃げないから。いつもその時点での最善のために思考、行動する。

だからこそ、過去の経験が次に活かせる。成長できる。時が階段の登らせる。

これが、プロだと思うのです。

非常に高い能力を持っている人だけがプロではない。あなたもプロにすぐになれる。

プロ野球選手もプロゴルフ選手も全ては、妥協しない人。

最善を尽くせる人は、逃げない人。逃げを知っている人は、その時点で最善を目指せない。

あなたはプロですか?






2011年07月15日

口悪い上司や同僚はいるもんだけど


口悪い上司や同僚はいるもんだけど

またまた、問題となった辞任した松本元復興大臣の上から発言。

マスコミに伝わる形で、公の場での発言に、政治家、大臣、大人としての資質を疑わざるを得ません。

しかし、身の周りには、結構いるもんです。上から目線や上から発言は。

あなたの身の周りにもいませんか?

口が悪い上司や同僚、部下...

それでも、気を許せたり、信頼を寄せている人もいると思います。

言葉は、表現の一つであって、普段の行動や仕草、関わり方や面倒のよさ、悪さなどの一つである。だからこそ、言葉は悪くても、信頼され、仲が良いということはよくあることです。

そして、あの場面、あのシーン...

言葉だけ、行動だけの一部分のみを切り取って、上から口調だとか、命令口調だとかと批判が集中してしまった。

初対面の人に、あの口調ではないはず。それぞれの知事さんとも前があってのあの言葉だと思えば...

ただし、大きな違いがあります。公の場で、マスコミがいて、TVカメラが回っていて、それも本人が認識していたということ。

場をわきまえない大臣、政治家、大人であることには変わりなく、辞任は当たり前のことだと思います。

逆に言うと、言葉の使い方、口調の強弱、表情は、よく場面やシーンを考えて使わないといけないということ。

政治家、特に大臣は、公人であり公僕である。このことを忘れた罪、代償は大きい!!







2011年07月14日

新しい電気に対する価値観、文化を作る初めての夏


新しい電気に対する価値観、文化を作る初めての夏

ICTシステムもネットワークも、一極集中型のクライアント-サーバー型ではなく、ピアツウピア型に変化しつつある。

そして、今、電力も。

賢いクライアントが求められている。私たちも電力を使うだけの存在から、作る存在に、そして、分け合い、助け合う存在になることを求められている。

そう、スマートグリッド。

スマートグリッドは、概念であり、装置や仕組みではない。

概念だからこそ、今、政治の牽引力が必要だと思う。

原子力発電というどでかいサーバー発電から、一つ一つは小さくても自然エネルギーや自家発電を集めて活用する時代に。この流れを自然の流れに任せておく余裕はない。政治が、パワーと予算とアイディアを集約して牽引することが必要不可欠なのである。

発想の転換。

今の日本の政治に、それを任せられるか...

電気は、与えられるものではない。お金を払えば無制限に使えるものでもない。でも、電気がなければ不自由な生活を強いられる。

今の電気の使い方の無駄を把握しよう。

エアコンを使うことは無駄ではない。冷やしすぎが無駄なのだ。

エスカレーターやエレベーターも使って欲しい人がいる。でも、使わなくても不自由にならない人もいるし、使っていないときも動かしているのは無駄かもしれない。

電車だって、余裕を持って少しだけ早めに出かければ、本数の削減はそれほど不自由にならない。

過剰が無駄なのであって、使用が無駄なのではない。

この夏、暑くなるだろう。普段の生活の仕方も変わるはず。節電の初めての夏は既にやってきている。どう過ごすかを小学校では、教えている。それを家庭に持ち帰り、一緒になって考えて、節電に協力する。行動で示す。きっと、小学生の夏休みの宿題は、節電日記となるところも多いだろう。

電気とは、目に見えないものだけに、どこにでも手に入れることができるだけに、新しい価値観と使用方法を作っていくための夏なのだ。

電気を使う立場から、作る立場にもなる価値観や文化の変化。

電気を大切に使う価値観と文化。

きっと、日本らしい価値観と文化が生まれるだろう。

もっと身近になる電気。この夏、大きな夏になるだろう。






2011年07月13日

新聞のビジネスモデル


新聞のビジネスモデル

あるラジオ番組の特集で、新聞について取り上げられていた。

ここで、その議論は繰り返さないが、おもしろい点を再確認できた。その方層の内容とは異なるかもしれない私論であることを前提にまとめてみたい。

一つは、新聞社にとっての直接のお客様は、読者ではなく新聞販売店であること。そして、新聞は紙をあの紙を売っているのであって、情報は付加価値であること。価格や参入など法的に守られていること。などなど

手厚い保護を受けたビジネスモデルである。

そして、昨今の新聞記事のデジタル配信の流れ。

新聞”紙”の定期購読は、1ヶ月4000円弱が相場か。新聞の電子版は、日本経済新聞を例に取ると、電子版のみの契約だと月額4000円。日本経済新聞紙とのセットだと新聞購読料+1000円となっている。

つまりは、新聞”紙”の契約ありきの電子版であることが伺える。

まぁ、これも異論反論があるだろうが、急激な新聞紙文化の変化は既存ビジネスモデルの崩壊を意味するところでもあるだろうが、いずれ、徐々にでも変化を続けていくであろうと思うのである。

新聞のニュースのトピックスであれば、無料で入手できる時代、電子版が月額4000円という金額は、高いか安いか... 新聞の更なる付加価値が求められているようにも思える。

ニュースの速報性、解説、コラム...

ニュースサイトにないものが新聞にあると思うし、小生自身は、新聞が好きである。

いまや、新聞紙を電車内で広げて読むことはない。そもそも、駅で新聞を買うこともなくなった。家での定期購読とパソコンやスマホなどのネット利用にとって変わった。

しかし、まだまだ、変化の途中。

正直、日本語の長い文章をスマホで読むのは結構辛い... かといって、タブレットで移動先で読むなんてこともイメージしにくい。

新聞紙の良さはあると思うが、その良さもきっと今まで慣れ親しんできた習慣によるものであり、なければないですんでしまう。今の若者が、新聞紙を買わないという傾向が顕著であることからも分かる。

きっと、新聞は、ニュースと論評と分かれていくのではないかと思う。ニュースの速報性は、既に無料で展開されている。事実を伝える役割である。

その事実に、記者の取材や調査、考えをまとめた論評が、新聞の将来の価値になる。今は、紙を売って情報を付加価値にしていたものが、紙を売らずに論評や深掘りを価値に変え売っていく。

そんな変化がやがてやってくる。変わらざるを得ない時代変化。

新聞社がどう変わり、新しい土俵に移り、どう生き残っていくのか、いかないのか。

過去や現在のしがらみに負けたところが、落ちていく。

しかし、先見の目を見誤っても落ちていく。

新聞という名の情報の変化、媒体の変化には、個人的に興味を持ち始めている。







2011年07月12日

かさぶたを見ていませんか


かさぶたを見ていませんか

人は、失敗から学べんでいきます。しかし、失敗を失敗と認識して、反省するということは、なかなかできないのも事実。

失敗したくない、失敗していると思われたくない。こう思うのも心情ですが、心を鬼にして見つめられるかどうかが今後の成長の加速を決めるとも思います。

失敗してしまうと、無意識にその事実、状態を自分の都合の良いように変えて見てしまう。その変わった事実、状況を認識して、納得しようとします。

まさに、怪我したときにかさぶたができるように、そのかさぶたを怪我の状況だと見て、思ってしまうと同じ。実際の傷口を多いかぶせてしまい、本質が見えなくなってしまう。

かさぶたをはがして、見ろとは言わない。でも、かさぶたができるまでのわずかな間に、その傷口の事実を正視して、認識することは大事なことです。

かさぶたは、傷を治すために必要なことですが、本質を隠してしまう。

かさぶたを本質だと思っていないかどうか...失敗を正しく見つめられるかどうかは、成長のためのテクニックです。

失敗せずに、成長することは不可能です。できれば、小さな失敗を繰り返して、そのたびに修正して、軌道を正すことが大事。

それを見ないことにして、大きな失敗をしてしまい、軌道修正不能や大きなタイムロスにならないように。

かさぶたは、人間の本能です。傷も失敗も覆い隠します。でも、その下にある本質を見ようとする姿勢が大事。

傷多い人は、強い人なんです。






2011年07月11日

ビジネスは、狩猟も農耕も でも、そんな簡単じゃないよね


ビジネスは、狩猟も農耕も でも、そんな簡単じゃないよね

ビジネスには、狩猟型と農耕型があるようです。

そのどちらも大事。つい、目先の狩猟型に走ってしまいがちですが、地に足をつける農耕型もなくてはならないビジネスです。

狩をしながら、種を植える。獲物を探しながら、水をやる。

なかなか、できないことです。簡単そうですけど。

言葉にすれば、種を植えるというけれど、実際に今、行おうとしていることが、種である確証がない。種であれば良いけれど、もしかしたら、ごみかもしれないし、毒かもしれない。そんな自分自身の考えや行動に疑心暗鬼になってしまうから、継続できない。継続できないから、芽が出る前に枯らしちゃう。もしかしたら、この繰り返しをしてしまっているのかもしれない。

だが、なかなか、無駄なことをし続けることって人は嫌なもの。無駄なのか、益のあることなのかを見極める時間の経過が耐えられない。

結果が、出ないこと。結果を待つことのなんて難しいことか... いつ結果が出るか分からないことの苦しさ、辛さ。

でも、もうひとふんばり!と思えるか、無駄じゃないか?と諦めるか。ここには、無駄を益と信じてしまっているんじゃないか、でも、もうちょっと頑張れば益が出るかもという葛藤があるはず。

頑張っても、種でなければ、芽が出るわけもないという事実。

芽が出る直前かも知れないという不安と期待。

この心の揺れ動きは、おもしろいと思えるか、怖いと思うか...

最後は、自分自身の感性を信じるしかない!

これなくして、我慢も辛抱も諦めもない。

感性は、言葉では表せない。だから、感性。正しい感性を身につけるには、一生懸命やることしかない。

この恐怖とその先にある益を味わえるのは、まさに選ばれし者かもしれない。






2011年07月08日

リスクを知らずにいることが最大のリスク


リスクを知らずにいることが最大のリスク

節電。今後の日本の決して消えないキーワードです。節電の大号令のもとに、エアコンの設定温度を上げたり、停止したりと今まで残業が当たり前に考えていた企業文化にも変化が出てきました。

夏、定時以降は、残業しにくい環境を作ろうとしています。消灯、空調、企業の節電義務化...

だからといって、仕事量が減るわけでもなく。どうなるか...仕事を会社以外に持ち出すことになります。ルール化であればまだ良いのですが、容認、黙認、ルール違反となると、別問題も生じてきます。

情報漏洩... 具体的には、パソコンうあUSBメモリ等の置き忘れ、窃盗。そして、ショルダーハッキング。また、パソコンの故障による業務停滞なども影響が大きそうです。

節電、でも仕事しなくては... 状況は、分かります。でも、何かが起こってからでは遅いのです。自分ひとりの責任で片付く範囲ではありません。日本は、個人情報、機密情報にはとても神経質です。被害が起きなくとも、インシデントが発生しただけで、大問題になります。

リスクを把握している人は、痛みも知っているのでまだ良いのですが、リスクすら知らずにいる人ほど、厄介なのです。

当然、情報セキュリティ対策は、会社として打ち出していると思いますが、それをそのまま厳守していては仕事にならないと思う人も少なくありません。

便利さを優先する前に、きちんと社員に説明、できれば、セキュリティセミナーや講習会を行うことが、地味ではありますが、重要なセキュリティ対策だと思います。

リスクを知ってもらう機会を作る。考えてもらう機会を作る。

ぜひ、まだのところはご検討ください。







2011年07月07日

節電の夏が始まった。


節電の夏が始まった。

まさに、節電の夏のスタート。具体的には、東京電力と東北電力管内の大口需要家(契約電力500キロ・ワット以上)に対し、電気事業法27条に基づく電力使用制限令を発動した。昨年の夏よりも15%の削減を義務つけた。強制力はないものの中小企業や一般家庭にも15%の削減を訴えている。

この電力使用制限令は、

電力使用制限令の発動は、東電管内(東京都、関東6県、山梨県、静岡県東部)は9月22日まで、東北電管内(東北6県と新潟県)は同9日まで。それぞれ平日の午前9時から午後8時が対象となる。

となっている。

また、前日18時に、「電力需給逼迫警報」を発令する。そして、当日、8時に、状況が変わらなければ、「電力需給逼迫警報」を発令する。その上で、必要があると判断すれば、計画停電の実行となる。

これらは、いわゆるいざというときのために準備。こうならないことを希望するし祈っています。

既に、昨年に比べても、30%程度の電力消費量の削減されているとも言われています。既に多くの企業や人々の意識が節電モードに入っている。その上での、15%の削減目標は、実際は過剰な目標だとも言われていますが、停電のリスクを考えれば致し方ないのかもしれません。

しかし、これが、電力会社が発信していることには、いささか違和感を感じます。世論主導での節電モードであれば良いのですが、電力会社が節電してくださいと発信することは、なんだか殿様企業の印象を受けます。

電力の選択の自由がないことが大きな理由かもしれません。

この夏。厳しい暑さが待っています。電気は、使えるだけ使うという考えには、もう戻れません。みんなの財産であり、分け使い合う時代になりました。

節電は、電気を使わないという意味ではありません。どうも、電気を使わないように夏をすごさなくっちゃという意識が強すぎる面も見受けられます。特に、我が家(笑)...
そうではなく、正しい節電をしていく最初の夏。

何もかもが、挑戦であり、初体験である。

この最初の夏の過ごし方が、今後の電気の使い方を左右するといっても過言ではないでしょう。

既に、企業では、土日操業、平日休業といった動きも出てきました。私たちの生活、文化、価値観、先入観も変化していきます。

楽しんで、節電生活をしていきたい。






2011年07月06日

松本復興大臣の言葉 政治家の謝罪の弁で感じること


松本復興大臣の言葉 政治家の謝罪の弁で感じること

あの人の言葉を振り返ってみる。問題になった言葉は、多く取り上げられているので、その後の言葉...


(ここから引用)
「今回の発言は知事に対して申し上げたことであります。言葉足らずだったり、私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として、被災者の皆さんに、傷つけたということがあれば、おわびを申しあげたいという風に思っております。3月11日の午後3時からずっと、この間、5月5日の日に丸一日休んだことを除いて、ずっと、東北の問題に関わってきました。そういう意味では、しっかり取り組んでいきたいという風に思いますし、私は福島に行って、岩手に行って、宮城に行って、私は全ての市町村の名前を知っています。知らないわけがありません。しっかり寄り添ってきましたから、そういう意味では全ての市町村の皆さんに対して、しっかりこれから取り組んでいく決意を表明したいという風に思いますし、そういう意味では、何と言いますか、知事とのお話は真剣勝負でありまして、私もこれから本格的に取り組んでいきたい、知事もこれから取り組んでいかれるだろう、そういう中で、住民の合意がいるだろう、そういったものをしっかり知恵を出していきながらやってほしいということで発言をしたところであります。以上です」

「例えば、博多(の)人間やけんですね、語気が荒かったりしたとは思う。ですけど、やっぱり知事、相手が知事ですから、私は例えば市町村に言ったり、被災者とのお話でこういうことは申し上げませんし、真剣にやっぱり、コンセンサスを得ていただきたい、様々なことで住民合意をしていただきたいということを申しあげたということに尽きます」
「私、全部知ってます。知ってますけども、おととい福島に行き、昨日、岩手から宮城に行き、そこでやっぱり見たら、私は東北全体を見なければならないということで、九州から見れば、東北というのは、様々広いなあという思いがあって、『私はしっかり取り組む』という意味で言ったんですけれども、曲解をされたという風には思います」

「私はちょっと、B型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらないという部分があるということは、さっき女房からも電話がありましたし、反省しなければならないと思っています」
(ここまで引用:YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/ )


実際に、現地に足を運んで、詳しいのかもしれない。それがえごになっているのではないかとも思う。

問題だと思うのは、一切、誤っていないと思うのですが...

謝罪の言葉としては、「結果として、被災者の皆さんに、傷つけたということがあれば、おわびを申しあげたいという風に思っております。」でしょうが、これは、自分は悪くない、そんな意図はなかった。ということでしょうし、思っているだけで、謝罪を表現していないことでもある。

これをなぜ、マスコミは、謝罪したという解釈になるのであろうか。

多くが”思う”という言葉でしめくられている。思っているだけならで誰でもできる

九州の人、血液型がB型の人にもいい迷惑だし一緒にして欲しくないと思っていることでしょう。

言葉は、重い!

品がなさ過ぎる。

小生自信、できることならば、このような方とは一緒にいたくない。

こんな印象を持たれながら、持ちながら、復興なんて... 夢のまた夢である。


と書いてたら、辞任のニュース。本人の弁。

(ここから引用)
、「被災者とは人一倍寄り添っているつもりだったが、言葉が足りなかったりして、被災者の心を痛めたことを本当におわび申しあげたい。言葉が足りなかったり、荒かったりしたのは不適切だった」
(ここまで引用:YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/ )

ようやく、”お詫び申し上げたい”という言葉。でも、これも不思議だよね。申し上げたいって... 申し上げるが普通だと思うけど。申し上げたいは、申してないということだよね...最後に、不適切だったと認めているだけ。詫びてない。

辞任の理由を聞かれると、「個人的な理由なので話せない」。

これも、納得いかないけど...

政治家の辞任劇をたくさん見てきたけど、ほとんどがこのパターン。

本人は、運が悪かったとしか思ってないんじゃない?って思っちゃう。

また、辞任の理由も「個人的な理由」としている。個人的な理由で、9日で辞めてしまうのもおかしな話である。
 
 







2011年07月05日

気づき 息子のドッジボールから


気づき 息子のドッジボールから

息子とのドッジボールの自主練習。ほぼ、毎週日曜日の午前中に行っている。テーマは、「人よりも多く投げ、多くキャッチする」ということ、テクニカルな部分は、チームの練習で! それ以上のことを教えると本人が混乱してしまうし、小生自身ドッジボールに精通しているわけじゃないので。

それでも、毎週の自主練習やチーム練習の見学、大会での応援をしている中で、どうしても気になる点があった。今、監督・コーチからとかく指示され、練習しているのがキャッチしてから投げるまでのスピードアップ。そのために、すばやくキャッチしてから投げる体制に一連の動きができるようなキャッチング方法に挑戦しているのが見受けられる。

小生も若い頃からずっとやってきた野球にも通じる動きなので、イメージできる。でも、息子は、うまくキャッチできずに苦労している。小生から見て、どうしても納得できないキャッチングの動きなのだ。

右投げなので、右肩の近くでキャッチしてそのままの勢いで投げる体制に移行するのは分かる。でも、息子は、身体のだいぶ右側でキャッチしようとしているみたいなのだ。

我慢できずに、その動きを矯正して、基本に戻り、身体の正面でキャッチしてその動きから投球への動きに移しては?とアドバイスを送る。しかし、当然のことながら、「いや、こう監督・コーチに教わった! これで、良いんだ。これをマスターするんだ」の一点張り。

そんなもんだ。監督・コーチが自分に教えてくれた言葉、動作が正しくて、良く分かっていない父の言葉は間違っている。それが、価値観というものであり、間違ってはいない。

それでも、やはり、小生の考えでは、身体の軸から外れたところでキャッチしようとするのはおかしいのである。無論、上級レベルではありうるのか知れないが、小学4年の息子には無理なのである。また、今の内は基本に忠実な動きをマスターしておいて欲しいとも思うのである。

そこで、作戦を変えた... とことん、対話、会話してその動きの意図を見える化してみようと思って機会を伺っていた。

先日、自主練習後、息子とスーパー銭湯へ行くことになって裸と裸でコミュニケーション、さらに時間はたっぷりという機会があった。息子とは言え、ドッジ談義は絶えない。

そして、じっくり、監督・コーチの指示内容と意図と完成形のイメージを会話でしてみる。じっくりと急がず慌てず丁寧に時間をかけて...

途中から、息子の顔色が変わってきた。すこしずつ、監督・コーチの指示内容や意図が本人なりに分かってきたところか。ようやく、消化し始めていたようだった。監督・コーチの手本の動きは、身体が大きく、上手な人が行う超理想的な動きであって、今の自分ができるわけがないのも分かっていた。でも、監督・コーチの指示や手本が絶対であって、それを何段階も飛び越えて挑戦している今の不可思議な状態に気づき始めたのだ。

そしたら、小生の言う内容も理解し始めてきたみたい。言いだしたのは「これからドッジの自主練習できる?」と言う言葉とキラキラした眼!

風呂入って、夜になる時間に、さすがにドッジボールの自主練習はできないと思ってしまった私の未熟さが今になって少しだけ後悔。

でも、きっと、その翌日以降の練習で、切り替えできるはずだと確信した。

本人の固い価値観、先入観はそう簡単に崩せるもんじゃないし、崩していいもんでもない。壊さずに違う価値観を見せてあげるには、子どもとはじっくりと時間をかけて丁寧に順序立てて理解を進めていくしかない。

教えるのではなく、本人に気づかせる。いや、気づいてもらう。

気づいた後は、また本人の問題。

小生的にも一つ大きな胸のつかいが取れた気がする。

さぁ、息子の動きが変わるのか、変わらないのか、変えようとしているのか...その変化を探すのが、次の小生の楽しみになった。


ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://www.dppmm.jp/

Dodge Ball Village ~ドッジボール村~
http://www.facebook.com/dppmm

#dppmm






2011年07月04日

”欲しい”からの脱却


”欲しい”からの脱却

契約欲しい、買って欲しいオーラが漂う人が多すぎる。

いくら体裁整えたって、かっこ付けたってオーラは消せない。

契約欲しいよ、商品を買って欲しいよ。それは分かる。でも、欲しいオーラが出てしまっては、買ってもらえるものも、契約してもらえるものも遠ざかってしまうことに気づかない。

フラットでいい。かしこまることもない、大きく見せることもない。

でも、それができないのが人なんです。

必要以上に良いものに見せる。→契約して欲しい、買いたいと言ってもらう。という図式が成り立たないことをなぜか分からない。

もし、契約して欲しい、買いたいという流れがあったのならば、それは、既にそのサービスや商品が認知されている後の話し。

そうではなく、契約して欲しい、買って欲しいと思っているものを必要以上に良く見せたりすることは、逆効果だと思う。

フラットでいい。フラットな姿勢でなければ伝わらない。

欲しいオーラは、上っ面なもんじゃないので、なかなか消せないよ。

消すには、まず、損することを惜しまないという凄く難しいことに挑戦しなければならない。この挑戦ができないから、オーラが消えない。

挑戦できた者は、既にオーラが消える。損するモノとは、お金、時間、精神的な苦痛、手間などなど。

どれも嫌だよ。でも、そんな中で楽しみを見つける。期待じゃない。楽しみ。楽しむこと。

そしたら、いつの間にか、本来の楽しさが振り落ちてくる。

ここまで、じっと楽しみながら損をする。

欲すれば、逃げていく。チャンスが、いくらでも流れている。見えていないだけ。見え出したら、ふと、手を差しだして掴むだけ。

それが、欲しいオーラを持たない人だけができる業。

小生もまだまだ、欲しいオーラが出ているんだよね。

修行が足りない。だからこそ、挑戦することに意識を向ける!

まだまだ、挑戦!






2011年07月01日

評価とは


評価とは

評価とは、結果が分かった後の振り返りでしかない。

しかし、日頃の思考、判断、行動は、結果を追い求めてのもの。

ここに多いなる隔たりがある。

思考、判断、行動は、良い結果を出すためのもの。

しかし、時に、多くの人は良い評価を得るためのものと考えてしまう。

そのために、結果を求める姿勢でなくなり、最善の結果ではなく最悪でない毛かを求めてしまう。

これで良いわけがない。

評価するにも、テクニックがいる、本来は、管理職とは評価のプロでなければならない。しかし...

これを管理者の個人のスキルに依存していては、会社としては生産性、収益性、効率化につながらない。

会社として、評価軸を定め、管理職がそれを共有する。管理職全員が!

そのために、会社が変わらなければならない。そうしないと、生き残れない。時間や環境の変化がここにも存在する。そのことに気づいているのか、いないのかも分からないような動きでは、社員ができる社員には育たないのだ。

そのヒントを一緒に考えていきたい! 考えさせてください!







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