WBI コンシェルジュのブログ
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2011年09月30日

点と線 それをキープするのがFacebookやTwitter


点と線 それをキープするのがFacebookやTwitter

昔、線は点の集りだと思っていた。線をズームアップしていけば、点が並んでいると... ま、間違いではないかもしれないが、線は、点の動いた軌跡だとすると余計に納得がいく。

人と人のつながりも点と線。

つながりの線をどう引くか。点の軌跡が線。点は、点に向かっていく。行き先のない点の動きは、無駄な動き。そう考える。

つまりは、どこに点をプロットとしておくか。

今は、様々なツールや機会でつながりを持ちやすい環境にあると思う。お会いした時、ご挨拶した時、もしくは、ネット上でつながった時、点がプロットされる。その点の大きさはマチマチだろうが...(笑

点をプロットしておけば、何かビジネスでもプライベートでも”つながり”が必要になったときに、その点に向けて光線を出すかのような線を引く。点がプロットされているから線が引ける。

点も線も自然消滅する。時が経てば消えていくもの。失いたく点もあるだろう。そんなときは、”別件線”を出すのである。挨拶だったり、飲み会だったり、顔を見に行くでもいい。なんらかの線を出して、新しいつながりを作って点と線を新陳代謝するのである。

難しいことを書いてきたが、これは、昔から自然な流れでやってきていることだと思う。年賀状だったり、電話だったり、同窓会だったり、年始周りだったり。

今は、それに代用する行為をネット上でも出来てしまう。

FacebookやTwitterなどで、顔やツイート、フィードを見れば、自然と思い出す。

大事なのは、その逆である。自分の点に線を引いてくれる相手に、自分自身の存在を忘れさせないこと。そのために、FacebookやTwitterなどでツイートしたり近況報告する。内容なんてある意味でどうでも良い。顔を表示させる。自分の発言を読ませる。親近感をキープする。

小生のフィードは、やはり、いつものお馴染みな顔が並んでいる。会わなくても、話さなくても親近感は持続しているから不思議だ。それと同じこと、相手のフィードに自分の顔を表示させる。それには、ツイートや近況報告を書いてアップすればいい。

そんなネット上のつながりが、現代の特徴だと思う。良い悪いではない。

新しいつながりを作るのも、それをキープするのもFacebookやTwitter。

もちろん、相手も使っていることが条件だけど、その割合が最近大きくなってきた。







2011年09月29日

所作こそ大事


所作こそ大事

もうご存知の方がほとんどでしょうが(笑)、小生、今、この中年の年代になって、ドッジボールにはまっています。

JDBA(日本ドッジボール協会)認定C級審判員でもあります。

今日は、この審判のことから話を進めていこうと思います。

少し大きな大会になると、大きな体育館で、2面のコートを取って試合をこなす場合があります。公式ドッジボールの場合、大会では、1試合主審1名、副審1名、線審4名、コートマスター1名という7名の審判員が必要になります。これに、計時係りや記録員が必要になります。

1日中、試合は立続けに行われていきますので、1コートあたり最低でも9~10名程度が必要になるのです。2コートなと20名。

しかし、資格を持った審判員は、それほど多くなく、東京都の大会であれば、近隣の県の審判員に要請をして審判員を確保することになります。

ドッジボールの審判の底辺を広げて人を増やす、そして、それぞれの質を高めることが必要になっています。

審判の質って何でしょうか?

プレーを見る目、正確にジャッジすること。それ以外に...!

そう、ジャッジには、ミスジャッジが付きまといます。ビデオ判定なんてないですから。また、動きながら多くの選手たちの動きを正確に、完璧にジャッジするのは、現実的に不可能とも言えます。しかし、その壁に向き合って行くのが審判員です。

審判員は、プレーのジャッジの他に、試合を管理する責任があります。つまり、プレーヤー、監督、コーチ、応援団に対して、ジャッジを納得させること。プレーヤーも監督もコーチも応援団もひいき目でプレーを見ます。また、見たい選手、プレーを中心に見ます。そんな中で、審判員の見る目とプレーヤー、監督、コーチ、応援団が見る目は違います。全ての人がそれぞれの感覚でプレーを見ているのです。

明らかなミスジャッジは、審判のミスですが、試合中のほとんどは微妙なジャッジです。この微妙なジャッジを全ての人に納得させる責任があるのです。

それには、ジャッジだけでなく、審判員の動き全てがシャープで、機敏で、的確で、かっこよく、分かりやすくなければなりません。

プレーを見る場所、見る姿勢、笛の音の大きさ、長さ、ジャッジ動作の機敏さ、コールの声の大きさ、発音... これらが伴って、初めて周りに人を納得させるジャッジができる。

まさに、プロ意識!

つい、自分流、我流、そして亜流でやってしまいがち... そうではなく、魅せるジャッジ、納得させるジャッジを心がける。これがプロフェッショナル。

真剣であれば良いと言うことではない。その真剣さをシャープな動き、かっこいい動きで表現することが大事。これが、試合を管理する、試合を作るということなのではないかと思うのです。

仕事をしている以上、その仕事のプロフェッショナルと言われます。

単に、成果を上げるだけで終わっていないだろうか? 結果さえ、出ていればいいとどこかで思っていないだろうか?

普段、どんな仕事の動きをしているだろうか? 話し方、口調、声の大きさ、トーン。約束ごと、レスポンス... どれも大事なビジネス所作。ビジネス所作を意識して仕事をしているだろうか?

自分流、我流、亜流になっていないだろうか?

結果は大事。でも、所作はもっと大事なのかもしれない。

お客様、同僚、上司、部下... どんな所作をしていて、どう見られているか。

かっこいいビジネスマン、かっこいいサラリーマンになりたいと思うのである。それが、プロフェッショナルだから。






2011年09月28日

巡り巡れば自分に帰る。


巡り巡れば自分に帰る。

人生もビジネスの恋愛も... 不思議なことに、元気のあるときには、パワーのある人が、落ち込んでいるときには、マイナスのパワーを持った人が近づいてくる。何もしようとしないときは、だれも近づいてこない。

人だけじゃなく、状況も環境もしかり...

まさに、不思議なもんだ。

それでいて、あいつに騙されたとか、あいつのせいでとか、人任せ、他人任せ、運のせいにしてしまう。つまりは、自己防御、自己防衛。

運で片付けられる人生や、ビジネス、恋愛をしたいのか...?

そうじゃないだろう。運を引き寄せいるような生き方、生活をしていかねばならない。自分自身のことなんだから。

そりゃ、うまくいかないときもあるし、なにをやったって結果が出ないときもある。それを自己防御、自己防衛で逃げてちゃダメなんだよ。その時点で、運任せになってる。他人任せになってる。

そこから、能動的にどう立て直していくかを考え、行動していくことで自信がつき、実力が備わる。

どうせ、時間かけりゃ今よりも良くなるんだから。それを、自分で漕ぐか、流れに任せるかで、その後の生き方、考え方が変わってくる。

休むときも大事。休むことは、怠けることではない。休むことで、前を見据えられる。

巡り巡れば、全てが自分。自分の生き方、考え方が自分の道を切り開いている。道は、作るもの。敷かれるものじゃない。


と、自分自身に言い聞かせる今日この頃...






2011年09月27日

依頼されたときの腕の見せ所とは


依頼されたときの腕の見せ所とは

仕事柄、様々なことやモノを依頼されることが多いのですが、気をつけていることがあります。依頼される側にとって、依頼者に”驚き”と”満足感”、できれば”感動”を与えられるかが、価値となります。

驚きや満足感とは、なんでしょうか。その回答や結果を出すまでのスピード。期待していた回答や結果を上回る質。時間と質だと思います。

逆に、時間がかかったり、質が悪いと、マイナスのイメージを与えてしまいます。

これに、プラスアルファーとして考えているのが、笑顔。会話、雰囲気作り。頼みやすさとか、遠慮させない雰囲気だと思います。

また、依頼者に合わせたコミュニケーション方法も大事。飛び回っている人や会議が多い人は、携帯電話や会社への電話よりはメールの方が喜ばれる。状況を、細かく知りたい人には、電話や直接会っての報告が好むなどなど...

特に、時間は、質を越える要素かもしれない。質は、じっくり時間をかければきりがない。質を高めるために時間をかけることもありますが、それでは、結果を出すまでに時間がかかる。まずは、レスポンスの素早くすることを第一に考えると、その見返り(?)は大きなものになると思っています。

たとえ、レスポンスが早くても質が悪ければ意味がないと思われるかもしれませんが、もし、質で満足されなかった場合は、その時点から再度、質を高める作業に移れます。また、状況報告としても相手に安心感を与えられますし、フィードバックをもらえれば、相手の意図をより深く理解できるので、求める回答、質に確実に近づけられます。

依頼されたときに、いかに素早くレスポンスを返せるか... ここが、依頼される側の腕の見せ所。相手に、「えっ、こんなに早くできたの?」「あなたにお願いすれば、確実だよ」って思われたら、それは大きな価値を得たことになります。信頼感、安心感は、つながりを強く太くします。

どんに些細なことでも同じ。問題は、回数です。大きな依頼ごとよりも、小さくて細かい依頼ごとを何度も繰り返すことで、信頼感は得られやすい。

依頼される人、依頼されやすい人は、大きな武器を持っているのです。

そして、大きな信頼感を得られたとき、大きなチャンスが生まれる! のだと思います。







2011年09月26日

なぜメモを取るのか


なぜメモを取るのか

新入社員研修で思い出すのが、上司から呼ばれたらメモとペンを持って行けということ。指示された内容を間違えないように、抜けがないようにするためのメモです。この歳になっても、その癖は抜けないようですが...

メモと言えば、学生時代のノートから、社会人の会議メモと引き継がれているような、いないような...

小生が学生時代の授業を聞いてノートを取りですが、一言一句とまでは言いませんが、キーワードや重要なこと、板書されたことは、”きれいに”書き写したり、書き取ったりしていました。”きれいに”がポイントで、テスト勉強の時など、後で何度も読み返すときがあり、そのときに理解を助けるための自分用の参考書的な存在だったような気がします。

社会人になっても打ち合わせや会議などでメモする機会は多く、学生時代の延長線のノーと取りからスタートした記憶があります。しかし、ビジネス上のメモは、授業のノーと取りとは全く違う。スピード、内容、テンポ... ”きれいに”ノート取りすることはほぼ不可能であることに気づき、ノートからメモになっていきます。学生時代は、シャープペンシルだったのが、この頃からボールペンに変わっていたのも理由があってのこと、話しのスピードに追いつくためには、シャープペンシルの芯が折れるトラブルや芯だしのアクションが邪魔なんですね。きれいさを放棄していますから、消しゴムで消して書き直すなんてことはありえませんでしたし。あくまでも、重要なポイントを書き残すためのメモ。議事録や報告書を後に作成するときに、ポイントを思い出せるためのメモという存在になりました。

こうなってくると、”きれいに”という意識も全くなくなり、書きなぐり、とりあえずキーワードだけ、罫線無視というメモになっていきます。ビジネスの実務を積んで行くと、分からない言葉も少なくなり、メモする量も減ってきます。と同時に、読み返すことも少なくなってくる。

こうなると、まさに、メモです。

では、メモしなくなるかと言えば、それはそうではない。やはり、ペンで紙に書くという動作が、その書いた内容を頭に刻みつけるようで... 最近では、パソコンを会議に持ち込んで、紙に書く変わりに、キーボードで打ってしまうこともあります。でも、頭の中に残る印象は、汚くても紙にペンで書いた方が強い。したがって、小生は、メモ派なんです。

また、最近では、メモの変わりにホワイトボードに要点を書き出して、携帯やiPhoneなどで写真に撮って共有することも... これはこれで、ありがたい。ホワイトボードに書いたものを書き写す手間がなくなる。 でも、自分で書かないので、印象に残りにくいんですけどね。

小生にとって、メモは、書き残すと言うよりは記憶に残すというためのメモということになっています。書きなぐったメモは、ほとんど読み返すことはなくなった。ほとんどです。でも、あのときのことは、あのノートに書いてあるという安心感が欲しいのです。いざとなったら、読み返せるという...

息子や娘の授業参観に行ってみると、先生が子どもたちがノートに書き写しやすいように板書書きして、書き写すまで待っている。そんな光景が当たり前になていたのに驚きます。時には、「最初は一文字空けて」とか、「1行空けて書いて」とか具体的。いいのか、悪いのか... だからか、どの子どももノートの内容はほぼ一緒(笑

ノート取り、メモ書きの重要性は、身に染みて分かっています。皆さんは、書いてますか? 打ってますか? いつでもメモ取れるように準備していますか?






2011年09月23日

息抜きも大事だよ


息抜きも大事だよ

息抜きしてますか?

先日の関東直撃の台風で、東京はまた交通麻痺状態に陥り、駅に人があふれ、帰宅難民とまで言われました。夜には、解消して大きな災害にはならなかったようですが、それでも大きなニュースとなりました。

今回の台風は、東日本に上陸した台風では過去最大級だったらしいです。皇居の周りも大きな木が、根こそぎぶっ倒れている光景を目にしました。

当日は、午後3時頃から急激に雨・風ともに強烈になっていったように思います。

ニュースでは、前日から天気予報のコーナーのみならず、注意喚起を呼びかけていました。

しかし、日本人は、仕事が好きなのか、仕事せずにはいられないのか、早めに帰るなどの対策が十分ではなかったように個人的には思います。

もちろん、リスク管理が出来ている会社、経営者は、早々と仕事のリスケや退社を促していたのも事実ですが、その一方で、ぎりぎりまで仕事をする、させる、もしくは、何も指示しないという会社、経営者も多かったということでしょう。

台風が来ると分かっているとき、しかも、ニュースや天気予報で大々的に注意喚起しているときくらい、仕事を打ち切ったり、リスケして早めに帰宅するなどの余裕が取れないものなのだろうか? とふと、思うのです。

もちろん、仕事、ビジネスですから、変更できない予定もどうしても対応しなければならないジョブのあるでしょう。しかし、なんだか、仕事していて交通麻痺になってから途方にくれる、駅に人が溢れる光景は、やはり、間抜けとしか思えません。

台風が過ぎ去るまで、じゃあ、呑んで待っているかっ!って笑い飛ばしながらのれんをくぐるなら、まだ分かりますが...

まだ、電車は動かないのか? 電車やバスを3時間も4時間も待って途方にくれている光景... タクシーの列に延々と並び続ける光景... それを仕方ないと思ってしまう人たち...

なんだか、おかしな光景だなと思います。

それが、サラリーマンだからなのか? その上に立つ人の管理職、経営者の懐の狭さ、日本らしいと言えば、そうなのでしょうが...

ニュースで、大々的に警戒してくださいと話題になる日くらい、息抜きしては? と思うんです。その息抜きこそが、リスク管理でもある。

かくいう、小生も若い頃は、考える余裕もなく、前述と同じ行動を取っていました。仕事だから...と割り切って。

一方、実は、小学校、中学校では、早々に午後の授業は中止して帰宅をさせる対応が取られていたのも事実。

子どもと大人は違うかも知れないけど、責任者能力、管理者能力、自己管理能力が問われる”台風対応”だった気がします。

そして、「翌日、昨日は大変だったねぇ」と、笑い話で終わらせる... これが日本人なのか...

もっと、息抜きして良いと思う。日本人は。







2011年09月22日

頑張っている人


頑張っている人

頑張っている人を応援したい。頑張っている人と一緒に仕事したい。頑張っている人を目指したい。

しかし、自分自身、頑張っているのか...

頑張るとは、一生懸命になること。よく、被災者に頑張れ!と言うなと聞かれるが、頑張ることを他人に強要するものではない。自分自身、頑張れば良い。一人称の動詞である。

頑張っているのか、いないのかも、自分自身でどう感じるのか、他人からどう見えるのか、違うかもしれないし、一緒かもしれない。見方やレベル、価値観が違うから。

それでも、どう見せるかも大事なことだが、やはり、自分自身頑張っていると思えるかが大事。ただ、頑張っている言い切れる状態になかなかなれないのがもどかしいけど。

他人の見え方は、副産物。ある意味で、関係ないこと。

自分自身で、頑張っている、頑張っていられると思えることが大事であり、まだ頑張れる、頑張りが足りないと思うことが今の行動の源となる。

自分自身の感覚として頑張っていると思える瞬間が、あるのかどうかは分からないが、頑張ろうと思うことが周囲を変えていく。周囲からの見方が変わる、接し方が変わる。

頑張るの頑は、頑固の頑。頑固になって、がんばろう!

頑張っている人を見たり、接すると、心が洗われる。心が洗われることが、心が素に戻れる。心の素は、頑張ろうとする意欲に満ちている。その意欲が、楽しようとする固い甲羅から飛び出して満たされる。

頑張っている人に接しようとすることが、自分が頑張ろうとする第一歩となる。

だから、頑張っている人に人、もの、金、情報が集まってくる。

今、調子が悪いなと思う瞬間は、頑張りの輝きがさび付いているからかもしれない。そんなときこそ、頑張っている人に接する機会を無理やり作る。

身の周りで頑張っている人を見つけ出すこと。これも大事な頑張る方法。






2011年09月21日

父親


父親

娘を持って、14年。息子を持って10年。父親と呼ばれる立場になって、もう10数年経つんですね。

小生の父は、もう20年前に他界しました。早い人生の幕引きでした。

その当時は、あまり感じなかったのですが、今になって、つまり自分自身が父親になって、その父がいないということに寂しさを感じるようになりました。

今ならいろんなことが、呑みながら語れただろうに... また、小生自身もいろんなことを語れればなぁと思うのです。

親孝行、したいときにはもういない。 そんな言葉が身に染みます。

母は健在で、気丈にも元気に飛び回っています。月に数回ですが、子どもを連れて家族で外食などにいっては、話をする機会もあります。

最近、そんな場に父がいないことが、非常に寂しく思うんです。

小生も歳なんでしょうか...ねぇ...

子どもにとっての父親。どう映っているのか。反省することも多いのですが、精一杯やっているのかどうか自問自答し、またさらに反省する日々を送っています。

とはいえ、毎日、働こうとするモチベーションは、今は子どもや奥さん、家族なんですね。文句を言われながらも家族を守っていきたいという気持ちは、自分自身の父親がもういないということを再認識しはじめてから、さらに強く感じるようになりました。

そのための苦労なんて...

と、頭では分かっているつもりですが、やはり、どこか自己主義に走ってしまうところも多くて... 家族からのブーイングが鳴り止みません。(笑

それでも、嫌だなという表情は出しても、踏みとどまって、頭を冷やし、行動を改めるケースが多くなってきたように思います。最初から、嫌だなと思うことでも笑顔で対応できれば良いのでしょうが、小生にはまだ無理です。表情は、作れません。勢いにのって、しゃべってしまうと、さらに状況を悪化させることが分かってきたので、その場面では言葉を発せず、時間を置いて頭を冷やす作戦を取っています。これで、だいぶ、修正できるようになりましたが、それでも、「パパ、聞いてるの?」と追い討ちに遭うので大変です(笑

こんなことを感じていると、自分自身の父はどうだったんだろう? と思うようにもなったんです。

おじさん世代になって、父がいないことに、初めて驚く今日この頃。マイペースで、やっていくしか方法がみつかりません。それでも、父は、頑張ります!






2011年09月20日

価値観なんて違うのが当たり前


価値観なんて違うのが当たり前

よく、夫婦間でも価値観の相違という言葉で離婚したり、離縁したりすることを耳にする。仲の良いグループの間でも、価値観が違う人がいるとつい疎遠になってしまいがち。
しかし、価値観なんてそう合致するものではない。良い例が、日本の政党だ。それぞれの主張があるものの大きな流れの中で、主張を引っ込めたり、時には無理やり出したりして、くっついたり、離れたりする。

日本の舵取り役の仕組みでさえそうなのだから、価値観なんて合うか合わないではなくどう近づけていくか、我慢するかではないだろうか。

夫婦や家族でさえも然り。長い間、時間を共有しているので考えは似てくるかもしれないが、年代や性別、ましては育ちが違うのだから、価値観なんて合致するわけがない。それでも、家族や夫婦としてグルーピングを成立させていくには、それぞれが我慢し続けているほかにない。そう考えると、奥さんにも子どもたちも良く頑張っているなと思う反面、もっと自分も我慢しなければならないかなと反省したりする。

ネット上のつながりも同じ。自分居心地の良い、もしくは、自分が得するであろうつながりを求めて、そして、深めようとする動きは一部では活発だ。しかし、居心地が悪くなった、自分が得しなくなったという表面的な単純な理由で離れていき、また新しいつながりを求めているようでは、決して着地地点はなくなる。

どこかで我慢する、奉仕する、貢献するという意識と考えがなければ、つながりは、ふとまた消える。受身だけではいけない。自分の価値観を押し付けてもいけない。そんな価値観を共有しようという意識のあるメンバーの集まりであれば、自然とつながりは太く多様になると思うが。

自分が主役ではない。そう考えること。しかし、なかなか難しい。つい、でしゃばってしまう、自分の損得を中心に考えてしまう、主張したい。そんな意識は誰にだって持っていること。それを押し付けず、時には殺して、他のメンバーの価値観を尊重する考えがなければ自分も活かされない。

偉くなればなるほど、何かを忘れてしまう。

それをいつも持ち続けている人が、実は輝いているし、これからも輝くだろう。







2011年09月19日

人はなぜ、働くのか → 私の働く理由


人はなぜ、働くのか → 私の働く理由

Special オルタナトークの題名に、考えされた。

思いつくまま、箇条書きにしてみる。

・生活のため! 報酬を得ることで、生活できる。

・誰の生活? 自分自身、そして、家族。なぜ、家族のための働くのか? 本能? 社会の構図? 先入観? 誤った考え? 役割分担?

・自分自身の喜び? 社会的な地位、肩書きが満足感、安定感を得る。楽しい仕事と嫌な仕事。さらに言えば、楽しい職と嫌な職。生活のためと自分自身の喜びは一致するか? 一致させようと日々の仕事を頑張る? 一致しなくとも生活のために我慢する?

・不安だらけの職環境! もう、安定なんてどの職にもありはしない。日々戦い。頑張り続けている人に職が残る。今の職を今後5年間、やり続けているだろうか? 自信がない。

・お金があれば、仕事をしないか? お金があったらあっただけの仕事がある。やりがいがある仕事がある。お金があるからできる仕事もある。人は、もともと働きたいのか? 自己表現方法なのかもしれない。

・金銭的に余裕のある人とない人では、仕事に対する考えは違う? 違って、当たり前。ならば、仕事ってなんだ? 仕事と一くくりにするが、報酬の高い仕事から低い仕事まで存在する。高いスキルを必要とする仕事から、やる気だけでできる仕事もある。

・社会に貢献することが仕事! 社会ってなんだ? 貢献? 何が貢献?


結論! 人はなぜ、働くのか? → 自分が笑顔になるため。他人に笑顔になってもらうため。

そう、考えることにした!






2011年09月16日

曇り状況に笑顔


曇り状況に笑顔

最近では、いろいろな人とコミュニケーションを取っていると、当然のことながら、様々な状況や勢いを知ることができます。

たいがいは、勢いのあるとき、モチベーションが高いときに、運よくお会いできるとそのエネルギーは、身体から発散していてこちらもそのエネルギーを吸収して、楽しく感じますし、勢いをもらいます。

しかし、相手が、落ち込んでいるとき、停滞しているときというのは、負のオーラが出てしまい、周りにも悪影響を与えてしまっている。そんなことを感じます。

まさに、反面教師。自分自身も同じ様なことをしているのではないかと思うのです。

調子の良いとき、悪いときで、行動パターンが違ってくるでしょうし、感情も違うし、充実度も違う。当然これらが、正のオーラ、負のオーラとして身体から出て周りの雰囲気を作っちゃう。

これが、当たり前なのかもしれない。

しかし、ビジネスをしていく中で、当然、良いときも悪いときもある。問題は、悪いときにどう立て直すかが、経営者、管理者の手腕が問われるところであろう。

良いときなんて、ある程度は誰がやったってうまくいく。問題は、そこからさらに上に向けていくか、下がったときにどう立て直すかである。

調子が悪いときに、どうすれば良いかなんて分かっていれば苦労しないと思われるだろう。その通りである。でも、大事なのは、笑顔ではないかと思うのだ。

笑顔。作り笑顔だっていい。ぎこちない笑顔だっていい。良いときも、悪いときも笑顔を振りまく人って素敵だし、素敵な人に素敵なものごとが集まってくるのもうなずける。

まずは、笑顔。

笑顔があれば、人と会える。人が会ってくれる。会いにきてくれる。会いは、愛でもある。

意識的に笑顔を作らないとならないとき。そのときに、笑顔でいられる自分でいたい。そのためには、素顔が笑顔でなければならない。素顔を笑顔にするには、いつも笑顔でいること、笑顔を作ること。そのうちに、笑顔を作るコが当たり前になる。

笑顔が救う。笑顔で救われる。そんなことも多い。だから、笑顔を大事にしたい。

曇り状況に笑顔にも笑顔なのだ。







2011年09月15日

知らぬが仏ではなく、知らぬがお陀仏


知らぬが仏ではなく、知らぬがお陀仏

知らないがために良いことがあることもあれば、知らないことで、大きく損することもある。

まさに、知らぬが仏 と 知らぬがお陀仏。

できることならば、知らぬがお陀仏はぜひ避けたいところ。特に、ビジネス面では。

特に、大きなところでは、助成金の申請など大きな金額を左右することもあるだろうが、身近なところでは、マナーとかルールとかに多い。

小さな配慮というか、情報収集の意識の差が表現されてしますだけに気を使いたい。

小さなところで、あの人は、あの会社は、常識がないとか、一緒に働きたくないとか、知らない間にイメージを悪くしてしまっているのかもしれない。

特に、今の世の中、モノや環境の流れが速く、そのれによって使い方や考え方、価値観も異常に早く変化している。

数年前の固定観念を持っていると、知らぬがお陀仏になってしまいかねない。なまじっか、知っていることだと、流れの変化に気を留めないことも多いようだ。

知ると言うことの価値が多いに見直さされている。

知って、感じて、判断する。すると、より自分自身の力が発揮できる。つまらない要因で、阻害されたくはない。しかし、それに気づくか気づかないかは、ちょっとしたことなのかもしれない。







2011年09月14日

やりっぱなし...


やりっぱなし...

振り返り、反省なくして、成長なし。 この言葉は、ビジネスでは根付いている。プロジェクトでも、個人でも、過去を振り返って、うまくいった点、いかなかった点、その理由を考える機会は、少なからず存在する。それをフィードバックして成長がある。

これが、なかなか、やりにくいものである。自分自身、自分の責任のある部分において、うまくいかなかったことを認めることは、実は環境や文化などが整っていなければできないことである。

例えば、あれだけ問題あったといわれる元菅内閣。退陣しましたが、その振り返りをしたのであろうか。マスコミを通じてしか分からないが、その動きは微塵にも感じられない。

しかし、この振り返り、反省を頭の中でするだけでなく、文字にして表現することが大事なのである。さらには、それを他人(上司、同僚、部下等)に公開し、共有すること。これが当たり前である環境、文化である職場は強くなる。

ここで大事なのは、無用な突込みをしないこと。うまくいかなかった点、その理由について、適切な意見交換は重要だが、あるレベル以上の突っ込みや追求は逆効果にもある。その意味でも、環境や文化というのが以下に大事なポイントか...

お互いの個々、組織自体が成長するというモチベーション、思惑が共通事項として共有されていないと、足を引っ張ることになる。これを恐れるあまり、うまくいかなかったことの分析が甘くなったり、やらなくなったり、うそをつくようになる。

やりっぱなしにしないためには、この環境つくりが重要なのである。

反省してこそ成長する。この言葉を活かすためにも。






2011年09月13日

節電の意図と目的 その裏にある思惑と流れ


節電の意図と目的 その裏にある思惑と流れ

この夏、多くの方々の節電協力によって、計画停電の危機から脱したようです。

多くの方々が、最近言っていますが、本来の節電の目的は、昼間の平日のピーク時を分散させるのが目的だったはずです。

しかし、必要以上に、また夜間なども節電する動きがあり、困惑されている方も多かったと聞きます。まさに、節電のお願いが節電ブームになったものを思います。

もともと、電気はあれば使う、使わなければ損という思い込みがあったと思います。公共資源でありながらも、電気料金を支払うことで縦横無尽に使い続けるという生活スタイルが定着していたときに、この節電という考えるべきテーマが出されたのです。

企業や店舗では、電気料金を抑制できる、しかも、誰からも非難されにくい状況であることから、本来の目的を逸してそれ以上の節電を実施しているのが現状ではないでしょうか。

これはこれで、良い点も多いことだと思います。もちろん、節電のやりすぎ、必要のないところでの節電という面もあると思います。企業活動、経済活動の中での節電も大事なことだと思います。

問題は、その線引き。やり過ぎ、過剰な節電と、適切な節電の線引きが難しいということ。公共サービス、施設での節電と一般企業での節電とでも考え方は違うでしょうし、場面、用途によっても違うでしょう。また、一つひとつ規程することも現実的ではないでしょう。

文化と同じで、やり過ぎ、もしくは、不足な部分が、揉まれながら見えない線で区分けされていくものと思います。節電は、今後も半永久的に課題に挙げられるテーマでしょうし、現に、今冬も来夏も電力不足の危険性が叫ばれています。

どこまではセーフで、どこからがアウトなのか。やはり、数年かけながら固まっていく。

節電ブームから節電文化に。

これからの電気生活を快適に過ごしながらもみんなで電気と環境を守っていく。その元年となるのが、2011年になるものだと思います。

節電が、当たり前。電気は、公共資源。今の子どもたちが大人になる10年後、きっと、新しい生活スタイルが定着するんだろうと思いますし、その流れに私たち大人も協力していきたいと思うのです。






2011年09月12日

ビジネスシーンで演じなくなった時、初めて強くなる


ビジネスシーンで演じなくなった時、初めて強くなる

名刺交換や自己紹介、交流会など、ビジネスで初めてお会いする方とか浅い関係の方と談笑、商談することは少なくありません。有利に、優位に話しを進めようとあの手この手でしゃべりまくる人はよく見かけます。

このとき、相手に安心してもらおう、役に立つ人だと思わせようと、自分を良く見せることになります。実際以上に見栄を張ったり、大きな話しに膨らませたり、経験豊富であることを誇張したり...

つまり、自分自身、出来る人間を演じているわけです。

でも、演じることが凄く上手い人もいれば、大根役者もいるわけで、たいていの場合は、無駄な努力に終わります。

名刺の肩書きもそうですね。本来であれば、肩書きなんか必要ない。連絡先が書いてあれば十分なのに...

かくいう小生も、演じないかと言われれば、自信がない。きっと、演じている。

でも、演じたくないという気持ちを持っているんですね。心の奥で。過去の経験から、演じても無駄、演じることに疲れたという経験があるからかも。

言いたい、アピールしたいことは、ビジネスマンであれば山ほどあります。でも、今ここで言うべきなのか、言って効果があるのかどうかと考える瞬間がある。

きっと、ダメ元で十分、そんなこと考える暇があったら行動せよという考えもあるでしょう...(笑

でも、私は、考える瞬間が出来ちゃう。

そんなだから、能動的でなくなる。

能動的じゃない=受動的 ではないんですね。受身じゃない。素のまま。

そんな素のままの経営者、ビジネスマンを何人も見てきた。かっこいいのである。

かっこいいと感じちゃったから、真似てみる。自然な流れだと思う。でも、それが出来るには、どたばたしない、慌てないどしっとした風格が必要。

小生自身、素のままでいようと演じている範疇かもしれない。(笑

それでもいい、素のままでいて、それを受け入れてくれる相手がいれば、それは強固な関係になる。いや、ならざるを得ない。

ビジネスシーンで、演じなくなった時、本当の強さが備わるのだ。

そう、感じる今日この頃である。日々是修行である。







2011年09月09日

ノーサイド


ノーサイド

野田総理が、おっしゃった「ノーサイド」。言わずと知れたラグビーの言葉。ラグビー精神を象徴する言葉である。

ラグビーは、日本ではマイナーなスポーツで、ルールも分かりにくい感がありますが、ラグビー精神は有名ですよね。よく使われる、「ALL for ONE、ONE for ALL」もラグビーの言葉です。

数あるスポーツの中で、なぜ、ラグビーが名の通り紳士的なスポーツであり続けられるのか、不思議に思います。

レフリーには、絶対服従。ノーサイド。自ら、不正なプレーはしない。

野球やサッカーにはない、道徳、倫理、理念。同じスポーツ選手でも、育った環境で考え方が違ってくる。まさに、ラグビー文化が尊重される所以である。

小生自信、ラグビーとは縁遠いところで育ってきました。中学、高校時代には、ラグビー部がありましたが、やはりとても小さく、マイナーな存在でした。

きっと、小さいときから、ラグビー精神で鍛えられた指導者が、そのラグビー精神を伝えていく環境に伝統があるのだと思います。

ラグビーでは、あの松尾さん(伝説のラガーマンで、現在は成城大学ラグビー部監督)が、おっしゃっていたのが印象的です。

・ラグビーボールは、一人では遊べないボールなんです。
・ラグビーは、一人では何にもできないスポーツで、力の強い人、足の早い人、投げるのが上手な人、キャッチが上手な人、視野の広い人、持久力のある人、瞬発力のある人など一人ひとりの個性が集まって初めてプレーができる。
・一つのプレーは、多くのプレーヤーが、表や裏のプレーの積み重ねによって成り立っている。
・レフェリーの笛が鳴ったら、そのジャッジを聞こうじゃないかという共通の意識。

などなど、とても印象的でした。勝利至上主義のスポーツ界にあって、いまだそのラグビー精神を貫き続けるスポーツだなと思いながらも、やはり、スポーツという流れに飲み込まれつつあることを悲しむ気持ちも。

そして、よく政治家が選挙の後で言い放つ「ノーサイド」。この言葉の意味を、表面だけ利用しているように思えて仕方ない。ノーサイドの精神がない者が、ノーサイドと言うことの薄っぺらさ。

松尾さんの言葉を思い出すたび、松尾さんのラグビーへの想いを思い出すたびに、悲しくなってしまう。

ラグビーのトライ! それは、ゴールではなくトライ。なぜ、ゴールではなくトライなのか。元々は、トライ後に行われる、トライフォーポイントと呼ばれるキックの権利を得るためだけのプレーだったからのようだ。だから、初期のラグビーのルールでは、トライだけでは、得点をもらえなかった。15人全員で、勝ち取ったキックの権利。そして、そのキックをたった一人に任せる。これこそが、「ALL for ONE、ONE for ALL」だと思っている。

今の日本の政治に、ラグビー用語を軽々しく使う資格があるのかどうか...

期待倒れにならぬよう、頑張って欲しいものだ。







2011年09月08日

挨拶


挨拶

最近、挨拶しましょうという人が多い。挨拶は、自らの心の扉を開く行為であるとも言われる。その通りだと思う。「おはようございます」、「お疲れさま」、「最近、暑いですね」 言葉のキャッチボールができるのが挨拶。

でも、さらに、大切なポイントがあるんです。それは、相手の名前をつけて挨拶すること。「川上さん、おはようございます」、「川上さん、お疲れさまです」...

イメージが違うでしょう...

相手が、確実に自分自身に言ってくれているという共感度が倍増どころではないくらい増強される不思議なテクニック(笑)

気になる異性から...「川上さん、おはようございます」なんて言われたら、俺に木があるんじゃないかって思っちゃうほど(笑)

それほどの効果があるかどうかは、そのときの笑顔次第かもしれませんが...

名前をつけて挨拶... たったそれでそれだけで、相手の意識に訴えかけるメッセージに早変わりします。

ここぞと思ったときに! 名前をつけての挨拶! 実践してみてください。






2011年09月07日

最近、”つながり”がキーワードになってきているけれど


最近、”つながり”がキーワードになってきているけれど

ソーシャルネットワークが、注目され、浸透され、利用されてくるようになり、最近では、”つながり”という言葉がもてはやされています。

ネット上では、TwitterやFacebook、mixiなどのつながり。リアルでは、交流会というなの名刺交換会やビジネスマッチングが注目されています。

ネット上で、友達申請し、リアルで名刺交換し、つながりを作っていく...

そこからが、大事な領域なのだが、友達とまり、名刺交換とまりという関係、つながりが多いような気がしてならない。

大事なのは、つながりの線の数ではない。よく、Twitterのフォロワー数、Facebookの友達の数を競うような自慢している風潮もある。TwitterでもFacebookでも名刺でもつながりの線の有無は分かるけれども、関係の強さを可視化しているわけではない。

大事なのは、つながりの線の太さ、線の種類である。Twitter、Facebook、名刺交換でも線を作ることには大きな成果はあるだろうが、できた線を太くしたり、種類を変えることは自ら、自分自身で行わなければならない。

このことを忘れているのか、知らないことにしているのか、つながりの線を増やすことだけに意識がある人がいかに多いか...

ビジネスマンにとって、ビジネスに結びつく関係になるかどうかが狙いのはずなのに、そこまで自ら持って行こうとしない。

ビジネス関係にするために、どうすればいいか。人それぞれだろうが、やはり、相手のことを知らないと話が進まない。相手を知ることは、信頼するということ。単なるTwitterのフォロワーとか、Facebookの友達、名刺交換したけど顔が思い浮かばない... こんな相手にビジネスできるか。

やはり、ビジネスは人である。人を知り、信頼し、信頼される関係になって初めて微意ネスシーンで顔を思い浮かべてもらえる。

会うこと、そして話すこと。これに尽きる。この正直、面倒くさいことをやり続けているか...

無駄も多い。いや、無駄ばかり。お金も時間も費やすが、成果につながらない。だから、継続しない。その結果、つながりの線だけが残り、いつの間にかそのつながりの線の先には何も付いていない状態になる。

FacebookでもTwitterでも、実名で顔社員をプロフィールにしていることで、知らず知らずの間に、会っている様な雰囲気になるようなこともある。ネットの威力。そこで、何とか、人と会うというアクションを取って欲しい。

知っている写真を実際に動かすのだ。顔写真を動かすこと、つまり会って顔を見ることで、新しいつながりの線ができる、太くなる。

ソーシャルネットの先にあるモノは、会いに行くことである。






2011年09月06日

ふと空を見る


ふと空を見る

昔見た空って、青かったよなぁ... でも、今この空って青いのか? と思えるくらい白っぽい空。でも、雲のない空。

雲が自在に現れ、消えて、大きくなり、流れて... 時に白いはずの雲が色がつき、黒くなり、雨を降らし雷を轟かせる。

目の前は、雲で覆われる。

あの青い空は消えてなくなる。しかし、雲の向こうには、必ず空はある。

しかし、今この目の前には青い空が感じられない。確かに雲の向こうにあるだろうと理屈では理解していても、目や頭では雲しか見えない。

青い空は合ったはず、雲の向こうには青い空があるはず。でも、そのはずが大事であり、雲もいつまでも留まってはないと頭では分かっているから、今の暗さや雨や轟が我慢できる。

今、見えている青い空。この青い空を忘れてはいけない。そして、青い空をの片隅にあるまぶしい太陽も。

ふと、空を見る。

雲はなくならない。なくせない。

ならば、今、この青い空の存在を焼き付けよう。

雲が去った後の空の青さは、澄み切った空は、格別だ。それも、普段見る青い空の記憶があるからでもある。

ふと、空を見る。そこに、何が見えるか。今、この空、この雲は、今しか見えない風景。ならば、その空と雲と一緒に楽しもうと思えたら、足が一歩踏み出せる。







2011年09月05日

Twitter と Facebook と Google+ と mixi


Twitter と Facebook と Google+ と mixi

しかし、いろいろなツール、サービスが出てくるもんだ。 コレが小生の印象。それぞれ、特徴がある反面、お互いのいいところを取り入れるなど、似始めてきているような印象もある。

小生自身、mixi → Twitter → Facebook と使い始めてきた。Goole+は、実は、まだ、使っていない。これ以外にも、Linkedinなど、有名なツール、サービスはまだまだある。

今現在、Twitterの発言をFacebookに連携させて自動的に投稿するようにしているが、Facebookには、それ以外の投稿やグループ機能を多く使っている。mixiは、完全に放置状態。

今の小生の印象はというと...

Twitterは、まさに”つぶやき”という印象。つぶやきなので、誰に聞かせたい、伝えたいという意図が薄い。返信やRT機能も使ってはいるがつぶやきに反応したつぶやき見たいな感じ。独り言に近い。それでも、それを聞いてくれる人が大勢して、独り言に相槌を打ってくれるのはうれしいものです。

大勢の人ごみの中で、お互いに勝ってにつぶやいているのが自然に聞こえてくる感じ。その中で、耳に入って関心のあるつぶやきや独り言があった場合に、近くに割り込んで相槌打ったり、話しに加わるって感じ。

Facebookは、まさに顔の見える集会所。 Twitterは、大勢の中でみんなが話し合ったり、独り言を言い合っているのはTwitterに似ている。Facebookの良いところの一つは、顔が見えること。友達申請は名刺交換に似ている。しかし、名刺交換の場合は、その後、何もしなければ忘れる一方であるが、Facebookでは、自分のウォールに勝手に顔を出して独り言や動きが見えること。親近感が継続・持続する。Facebookのウォールを見ているだけで、その人の印象やら記憶が勝手によみがえってくる。

リアルにある期間が長くなっても、連絡を取り合わない期間があっても、忘れにくく印象や記憶が持続できるのは大きい。

顔を見て、思いつくことも少なくないし、わざわざメールを送信するより、Facebookのメッセージを送る方が簡単にもなってきた。

グループの機能もおもしろい。非公開グループであれば、そこで発言した内容は、そのグループ内のメンバーだけに閲覧されるので、安心して発言できる。

Google+は、今は利用していないし、必要と思わないので使っていないが、きっと、ユーザー数が増えて、身の周りでもGoogle+ユーザーが増えてくれば、使わざるを得なくなりそうだ。

いずれにせよ、使ってみて、使い込んでみることで発見はある。でも、使い込むためには、身の周りの人たちが使っているという環境がないと...

今では、名刺交換よりもFacebookの友達申請・承認の方が役に立つ。

ただ、会社の規模が大きくなるにつれば、Facebookの利用が制限される傾向があるので、全て完結できない点であろうか...

また、TwitterとFacebookも誰が見ているとは限らないことを忘れてはいけない。会社の同僚、仕事のパートナーやお客様...

つまり、投稿する内容をよくよく考えてその上で投稿することが必須。

これを避けるには、Facebookの非公開グループへの投稿など公開されない環境が必要。

頭を使って、つぶやく... 不思議な、時代というか環境なんですね。

それじゃ、つぶやきじゃないじゃん...って声も聞こえてきますww






2011年09月03日

適材適所


適材適所

やはり、新野田内閣の組閣でも使われた言葉。

適材適所。しかし、多くの場合、実行する前に使われる意味合いと、実行後振り返って使われる意味合いとでは、大きく違う。

いくら、適材適所だといってもそれは肩書きと実績の違いだろうか。

適材適所...

期待値を高めるために使われる言葉であって、なかなか、「適材適所だった」と過去形で使われないことが今の日本の現状なのか。

適材の見極めが、ポイントでしょう。

何に適しているのか。日本の政治、特に組閣では、どこを向いての適材なのかが不明である。もちろん、意図はあるのだろうが、その適の意味がよく分からない場合が多い。

適 が 敵 に、なってしまいがち... それが、政治なのだろう。

ぜひ、 的 を得た、適材を適所で良い仕事をしていただきたい。

さて、自分自身。適材適所を心がけているだろうか。自分自身の適所とは何だろうかと考える。しかし、時に、適所を無視して、働きまくらなければならないときも多い(笑

適 という意味も実は深い。目の前のこと、中長期のこと、育成、成長... そんなことを考えれば、適 の意味合いも違ってくる。

結局、適材適所という言葉は、実行前ではなく実行後に振り返る言葉であってほしいと思う。

結果が出る前出れば、何とでも言える。そんな思いを吹き飛ばすだけのインパクトのある適材適所があるだろうか...

後になって、適材適所と言わせる仕事する。これが、テーマでもある。自分が活きる仕事をしたい。そう思う言葉である。






2011年09月02日

130万円の壁が低くなる...かも


130万円の壁が低くなる...かも

政府は、1日、専業主婦らが国民年金保険料の支払いを免除される年収基準について、現行の「130万円未満」からの引き下げを検討する方針を決めた。

新政府になって、新大臣も決まらぬままの状態ですが、パートなどで働く主婦の厚生年金への加入を増やして老後の保障を手厚くするのに加え、「専業主婦を優遇しすぎだ」という現行制度での不公平感を和らげる狙いがあると言われています。
(参照:http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110831-OYT1T00935.htm?from=main5)

会社員の夫を持つ家庭の場合(厚生年金加入の夫を持つ家庭の場合)、配偶者は、第三号被保険者という扱いになり、自分で国民年金保険料を払わなくても、国民年金に加入している状態となる制度があります。この条件が、20歳~60歳の配偶者で、年収130万円未満の人となっているので、130万円の壁と言われています。

もし、年収130万円を超えると、夫の扶養を受けられなくなり、自分で社会保険料(健康保険+年金保険料) を納めなければいけなくなります。家計的には、マイナス要素がトリプルパンチ(夫の扶養が受けられない、健康保険、年金保険料の支払い)が降りかかってくるので、わざと、130万円を超えないように計算して働いている人は少なくありません。

現実的に、年収130万円を超えてしまうと、支出が多くなり年収130万円のときよりも収入ダウンにつながります。年収130万円のときよりも手取り額を多くするには、およそ160万円程度の収入が必要と言われています。

厚生年金に加入すれば、将来の年金額が増えるというメリットや、傷病手当金や出産手当金の給付をもらえるメリットはあるものの支出のダメージの方が大きいと考える人が多いのが現実のようです。

この130万円の壁が低くなるということは、世間に大きなインパクトを与えるものと思います。

働ける、働きたいのに、働く時間を短くしなければならないと考えるか...

働く時間の制限を解除して、もっと働いて稼ぎたいと考えるか...

どちらが多いのでしょうか?

働く時間を多くするということは、子どもがまだ小さい家庭では子どもを預ける施設、サービスの充実が直結しますが、議論ばかりでいまだ現実的には厳しいと聞きます。また、延長保育など割増料金などを考えると...

大事なのは、時間の制約を受けない、つまり時間を自由に設計できる働き方ができないかなと思うのです。

もちろん、業種や仕事の内容によっては、時間に拘束されるものもあるでしょうが、そうではなく、働きたい時間に働ける環境や仕組みや理解が求められていく時代になるでyそう。

働き方を改善する。これは、働き手も企業も国も市町村も考えていかなければなりません。この夏、節電というキーワードで、多くの企業が、働き方を変えてきました。今、その考えをさらに加速して、できれば、中小企業が取り組んでいく流れが必要だと思うのです。

130万円の壁が低くなる。これは、多くの方々が、働き方を考えるきっかけになります。多様な制約や縛り、趣向を働き方にも反映できる社会に変えられるか。

働ける人、働きたい人が、働ける社会。当たり前のようだけど、実は、国のルールで制約、制限してしまっている今。

コレを機に、もっと働きやすい社会になることを祈り、見守っていきたいと思います。






2011年09月01日

話を聞く姿勢


話を聞く姿勢

最近、話を聞く姿勢ができていない大人が多いなと感じることが多い。話を聞くということは、自分がしゃべらず、相手の話を聞くこと。この、自分がしゃべらずということができない人が多いのだ。特に、ビジネスシーン。打ち合わせや営業シーンで、相手の話を聞けない人が目立つ。

自分、もしくは、売り込みたいサービスやモノをアピールしたいというのは分かる。しかし、マシンガントークを聞きたいというのはまずいないだろう。相手の話を聞いて、会話のキャッチボールができないのであれば、話がまとまることもない。そう、話のキャッチボールではなく、ドッジボールになっているのだ。

相手めがけた思いっきり話を投げ込んで、相手の投げた話はさっと避ける...

やり込めるだけのテクニックがあれば、話のドッジボールでもいいのかもしれないが、基本はキャッチボール。相手の話を受け止めて、相手が取りやすい話を投げ込む。

話をしていると、目をそらしたり、手をもじもじさせたり(ボールペンをカチカチするのはもってのほか...)していませんか。相手の目を見て、うなずいて、あいずちを打ちながらも、話の内容を理解しようとして、話を返す...

話を聞くということは、相手と共有すること。話題でも感性でも考え方でも価値観でもお互い共有することで、理解しあい親しみを感じ、信頼を得る。

相手をやり込めて、信頼を得ることは滅多にない。(ありうることだけど...)

ここには、我慢も必要だし、協調性も必要だし、辛抱も必要。さらには、相手を好きになろうとする気持ちが大事。相手を好きになろうと思う気持ちなくして、話のキャッチボールはできない。

好きな友達とだけ付き合うような風潮が... 好きな友達でもネットを介してのコミュニケーションが、このような風潮を呼んでいるのかもしれない。でも、だからといって、ネットが悪いとは思わない。オンとオフ。両方大事。オンの経験が、最後は効いてくる。そんな気がする。

オンには、笑顔! 表情が大事。感情を表に出そう!







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