WBI コンシェルジュのブログ
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2011年11月30日

綱渡り


綱渡り

人生、綱渡り。ビジネス、綱渡り。まさに、最近、そう感じます。計画通りには、進まない。この先、どうなるか分からない。仕事がなくなる? トラブル発生? そんなことをいつもいつも感じながら、考えながら生きている。みなさんもそうではないですか?

そんな中、なんやかんやと過ごしている人、うまくいっている人、落ちていく人がいる。その違いは、なんなのか?

運命という2文字で片付け切れないもの。これが、自分の人生、ビジネス。

何の保障もない将来。

でも、その将来に向けて踏み出していかなければならない道。

うまくいくとも限らないと考えるか、何とかなると思うか、うまくいかないわけがないと思うか、失敗するに違いないと思うか、何やっても意味がないと思うか、何もしなくたってうまくいくと思うか...

どう思ったって、一緒かもしれない。

では、何か行動の違いがあるのか? そんな行動の違いが明確に分かっているんであれば、苦労はしない。行動と結果の因果関係は、あるようでない、ないようである。だからこそ、行動を考え、改めようとするのである。

正義、仁義、道徳...何を信じるか?

人は人に救われる。人は人を救う。ならば、やはり、正義、仁義、道徳は、大事なこと。でも、計算できないこと。でもでも、それは目に見えること。正義、仁義、道徳は、目に見える。でも、自分自身では見えないものなのかもしれない。

自分では見えないけれど、周りの人からは丸見えのもの。

ここに、何か、ヒントがあるのかもしれないと思うのである。

正義、仁義、道徳... 見えないものを身につける勇気こそが、綱渡りの人生、ビジネスの守り神、お守り、防波堤なのかもしれない。

綱渡り... 誰もが、綱渡り。

その綱を上を歩き続けるために、まさに、大人として自らを律する気持ち、心。

大事にしていきたい。そう考えなければ、綱なんて渡れない!

人生もビジネスも綱渡り。渡りきってやる!!







2011年11月29日

年末間近


年末間近

もう、年末ですね。ディズニーランドやディズニーシーでは、既に、クリスマスモードですし、街中もクリスマスカラーに染まりつつあります。

年末と言えば、忘年会? 様々な集まりが忘年会と称して呑みますね。楽しみでもありますが、面倒くさいと言う方も多いのではないでしょうか。

忘年会という冠を付けながら、特段特別なこともなく、集まって、話して、呑みながら時を過ごす。忘年会だからという名目もあり、集まりやすいということもあるでしょう。でも、その一方で、忘年会ってなんだ?と疑問を持つ人も実は少なくない。

年末に会って、何か得したことがあるか? そんな目に見えるような得があるわけもない。1年の苦労を解き放てるか? そんな単純なもんじゃない。

ま、そんなもんでしょう。

それでも、忘年会は、忘年会。これぞ、忘年会。

不思議な文化です。

忘年会に出られないと言っても、別に損するわけもなく... なにかの区切りなんでしょうね。1年、年末と言う区切りもあるようなないような区切りですから。

まぁ、1年に1度くらいは、集まりましょうということなのでしょう。

と思っていたら、数週間後には、新年会!

さすがに、最近では、忘年会か新年会かどちらかを催すことが多いように思います。両方同じ様なメンバーでやってもねぇ...学生じゃないんだからと。

年末って、年の区切り。でも、あまり意味がない。これが小生の実感。正月休みがある程度で、ゴールデンウィークよりも短い。でも、これこそが、伝統で、文化。大事にしたい慣わしなんですね。

お正月と言えば、お年玉に、お雑煮に、お節... 同じ様に、忘年会。

今年の忘年会。お財布のダメージを与えすぎないように楽しみましょう。

今日は、グダグダと意味もなく、思うまま、書き連ねました...orz






2011年11月28日

評論家になるのは簡単


評論家になるのは簡単

よく仕事の話をしていても、「**会社の**君は、まだまだ力が足りないね」とか、「**会社の***は、社内で信用されていないようだ」とか、「**会社の***さんは、頑張っているよ」とかという話で盛り上がることはないだろうか?

個人名が、社長とか本部長などの役職の方々の評論と言うか、意見と言うか、印象と言うか... まさに、勝手評論。

まぁ、事実と遠くもない話だろうが、じゃ、あなたたちはどうなんだろう?って思ってしまう。

こんな話をしているときは、みんながみんな、仕事が出来る人になりきっている。自分たちは、客観的に大きな仕事をしているんだと言わんばかりに...

正直、小生は、このような話になると一気にトーンダウンというか、冷めてしまうのだ。小生自身、他人を評価できる立場でもないし、評論できる実績もない。さらに、このような評論した後に、有意義な結論が出た例(ためし)がない。

でも、言っていると気持ちが良いんだろうなと思う。そんな声のトーンだったり、表情をする。

必ず、では私自身はどうなんだ? って自らを問いただす自分がいる。そこで、反論できないのだから、シュンとなる。つまりは、評論合戦に参加できない。冷めてしまう。

この評論合戦。身近なところに数多く存在しているようだ。同僚、上司、取引先、お客様... ありとあらゆる人たちがターゲットにされる。間違いなく、小生自身もどこかで評論されているはずだ。良い評価、悪い評価は分からないが...

しかし、全てに言えるのは、評論して何になる? 分析? 傾向? 印象?

評論家になるのは簡単。でも、「じゃあ、お前はどうなんだ?」 と切り返されて反撃できるか!?

人は、評論が大好きなのである。しかし、評論は、意見交換ではない。だから、うなずくしかないケースが多く、議論にならない。

会議などで、ダラダラ会議になる傾向の一つが評論話に終始していることが挙げられる。人の評論だけでなく、状況や評価事態も評論してしまっていないだろうか。だから、議論にならずに、時間ばかりが過ぎていき、結果が出ない。

評論と議論の違いが分かれば、会議は楽しいものになるのだが。どうも、議事進行役、リーダーの方が、そのことが分かっていないケースが多いようだ。

評論家集団ではなく、議論集団になりましょう!







2011年11月25日

怪我した時、どう感じるか


怪我した時、どう感じるか

今回もドッジボールから気づかされたこと。

先日、ドッジボールの練習中、突き指やら指の捻挫やら怪我をしてしまいました。ドッジボールですから、指の怪我はしかたないところ。それでも、笑いながら、やっちまったと思って、包帯や湿布を巻き付けて過ごしています。

しかし、これが、大好きなドッジボールだから言えることなんですよね。例えば、嫌な仕事や嫌な役回りがあって、同じような怪我をした場合、笑いながらおなじように過ごせるか? きっと、怪我を重く受け止め、休んだり、辞めたりする口実に使うのではないかなと思うのです。

これは、極端かもしれませんが、怪我した時、マイナスの事態に陥ったとき、どう感じるかは、その人の普段の感じ方、捉え方が見え隠れする部分でもあります。

息子の場合、ちょっと身体の変調が合った場合、朝、学校に行く前であれば、あーだこーだ、あれがおかしい、これがおかしいとなって、学校を休みたいとごねます... (笑

しかし、ドッジボールに関することであれば、そ知らぬ顔して出かけるわけです。

それも分かっているからこそ、ドッジボールで行きたくないとか、今日は休むというようなときは、本当に何かがおかしいんだと察知するんですが、学校を休みたいというのは、もしかしたら、仮病や大げさに言っているのかもって思っちゃうわけです。

ちょっとしたときに、ちょっとした言葉や行動って、鉄仮面をかぶっていても真意が表現されてしまうこともありますね。

怪我した時に、その怪我をどう扱うか...マイナスを利用するか、マイナスを隠そうとするか。

あまり状況がよくない事態に陥ったときに、それを利用しようとするか、隠そうとするか。

似ていると思うんです。大人も子どもも... 感じること、考えることは一緒(笑

自分自身でも、何か合ったときに、どう感じたか、どう考えたかを振り返ることで、物事に対する気持ちを再確認できるのです。何かあったとき、何か変化が起きたときが、チャンス!

怪我した時、どう感じるか。ぜひ、そんな場面がないことを祈りますが、もし、怪我しちゃったとき、マイナスの事態にめぐり合ったとき、自問自答してみてください。






2011年11月24日

経営とは、走り続けてはいけない!?


経営とは、走り続けてはいけない!?

一昔前、小生が大手メーカーのSEだった頃、とにかく、しゃにむに走り続けていた気がします。目の前の仕事を全うすべく、与えられた仕事をこなし、さらには、自分なりの考えを盛り込みながら...

今では、サービス残業という言葉がありますが、当時はそんなものはなかった(笑) だからこそ、経験できた貴重な密度の濃い時間と仕事でした。

今、経営を考えるようになり、その当時とは全く異なる思考回路を持つようになりました。同じビジネスですから、走り続けないとジリ貧ンになります。経営者のジリ貧は、目も当てられず最悪の事態を招きますが、走り続ければ良いかと言えばそうでもなく... ペース配分とかも必要ですし、、なにより走るべき”先の道”の建設も必要。

時には、走るペースを落としたり、立ち止まったりすることが大事。

長い目で見て、全体最適をしなければならないからだ。

と言いつつ、キャッシュフローという時限爆弾を抱えているのも経営者。

このあたり、経験無くして、経営できないと思います。事業や会社の経営を目指すのであれば、立ち止まり、何をどうするかを考えるようにしましょう。単に、立ち止まっただけでは意味がない。感覚から思考し、計画し、実行して始めて立ち止まったと言えるのです。

そして、また走る。自分以外を走らせることは、その次の段階。まずは、自分が走る。

正直、小生なんかは立ち止まってばかりです。間違った思考、計画、実行して、結果が出ない... そして、走って急場をしのいで、また立ち止まる。その繰り返し(笑

それでも、自分の感覚を大事にして、思考して計画して、実行する。このステップこそが経営だと思うのです。走るのは、仕事、”感思計実”が経営。そして、フィードバックこそが成長の肥やし。

年末が見え隠れするようになってきました。

来年、走れるように、そして、自分以外を走らせられるように、今、”感思計実”を大切にしたい。年末は、感思計実を特に行うべき時期なのかもしれません。






2011年11月22日

スーツは、勝負服ですが、実は...


スーツは、勝負服ですが、実は...

サマービズが定着し、小生もおよそ6月~10月頃の暑い時期は、スーツを脱ぎ捨て、ネクタイを解き、半そでシャツで街中を動き回ります。

正直、ネクタイ、スーツが意味もなく正装というイメージで着ていた時代もありましたが、実用的でないという世論の後押しもあり、スーツ、ネクタイでなくても良しという雰囲気になりました。正直、ありがたい! 汗だくになりながら、スーツ、ネクタイは、気分良くないですから、その上、「無礼だ!」と思われるのではないかと思ってしまうだけで、スーツ、ネクタイを着用するのは、やはり、ビジネス文化なのでしょう。

そして、冬。服装をどうされていますか?

スーツ、ネクタイにコートというスタイルに戻しておられますか? それとも、カジュアルな服装ですか?

小生は、コート、ネクタイに戻しています。冬モードです。

理由? 明確な理由はありません。

やはり、スーツ、ネクタイは、身と気が引き締まります! カジュアルな服装のときとスーツの時とで、違いはないのでしょうが、気が引き締まるのです。夏と違い、スーツネクタイでもあまり苦にならない。ならば、きりっと感じられるスーツ、ネクタイを常時着用しています。

実は、一つ個人的な理由があるんです。数年前にダイエットを敢行し、体重を落とし、スタイルもだいぶ細くなりました。おかげで、スーツのサイズもバーゲンセールで買えるサイズのものを着れるようになり、シルエットも以前に比べればシュッときれいになったと思っています。これを維持しなければ... 元に戻るわけにはいかない。そんな心境も実は心の奥の方にあるようです。

昔の自分を知っている小生なので、今の状態が気に入っています。それを実感できる一つが、実は、スーツ、ネクタイというスタイルなんです。今日も、着れた。シルエットは乱れていないか... 着て、鏡を見て、確認できる(笑

スーツは、勝負服なんです。ビジネス面はもちろんですが、体型維持のためにも。

少し、太り気味になれば、スラックスのはき心地や、腰の締まり具合が変わってくる。スーツの着心地も...

今日も、楽に着れた、はけたということ自体がバロメーター。安心感を得られるのです。

だから、スーツを着るのが、今は楽しい。

冬のスーツ着用は、個人的には楽しみなんです。だから、毎日、スーツ。職場に着いてもほとんど脱がない。(笑

全く、個人的な趣向なのですが、夏のイメージと冬のイメージがガラリと違うと言われます。

冬は、勝負服を楽しんでいるんです。







2011年11月21日

忘却


忘却

あなたは、今、何個の電話番号を覚えていますか?

小生の場合、自宅、自分の携帯、会社、実家...くらいかも。

家族の携帯電話すら覚えていません。

携帯電話が、普及される前であれば、こんなもんじゃなかった...(笑

覚える必要がなくなった。これに尽きると思います。

覚えていた電話番号さえ、忘れてしまう。

それでいて、なんら不自由しない。

これが、人間なんですね。

では、なぜ、電話番号を覚えているものがあるか。

たぶん、記入するケースがいくらかあるからではないだろうか。契約書、アンケートなどなど。

記入しない、入力しない電話番号が頭の中から消えていく。

知らず知らずのうちに、携帯電話に依存していく。

そしてさらに...FAXする機会もなくなった。

FAXで受信するものは、広告が大部分。近いうちに、FAXも、不要になっていくに違いない。弊社の名刺では、既にFAX番号の記載もしていない。それでも、不自由しない。電話回線もFAX機も無駄なものになっていくだろう。

人は、必要のないものは、忘れていく。いや、忘れなければならないのかもしれない。
不要なものを忘れ去り、必要なものを覚える。コンピューターのメモリみないなものだ。

ただ、大事なのは、忘れても必要が生じた時に、調べれば分かると言う安心感。携帯やパソコンの住所録、年賀状などなど。

調べれば分かると言う安心感があってこそ、忘れることができる。

電話番号以外で、忘れ締まったものは何かなぁ。 でも、忘れてしまっているから思い出せない(笑

それでいいのだ!






2011年11月18日

【ドッジ】ドッジボール界に もの申す! #dppmm


【ドッジ】ドッジボール界に もの申す! #dppmm

 小生自身、ドッジボールが大好きです。その上で、申し上げます!
 
 先日、ドッジボールの練習中、息子が左手の小指を骨折してしまいました。現場には、いませんでしたが、小指が”あっち”の方向に曲がってしまったらしい。大急ぎで、近くの接骨院に駆け込んで診てもらいました。
 
 すぐに、あっちの方向に向いていた小指は、力技で(?)元に戻していただいたようですが(このときは、まだ、息子と合流できなかった)、その近くの整形外科へ行くようにと。そして、また診断。今度は、大学病院に行った方がいいとなって、紹介状を書いていただいてその足で近くの大学病院の時間外診療へ...
 
 そして、診察。レントゲンを何度も取られ、放射能大丈夫か?と思う暇もなく、ただ単に時間が過ぎていく...
 
 息子は、小4。3日後に、大きなジュニアの大会(小4以下の大会)に迫った時のアクシデント。息子自身、悔しいだろうなと察するに余りある状況。それよりも、怪我の状況が気になる。
 
 診断は、予想通り、骨折。また、ここから、やり直しです。”また”と書いたのも、小4でありながら、何度、骨折やら突き指やら指の捻挫を繰り返していることか...という思いから。
 
 私自身もドッジボールをプレーしていて、指の突き指やら捻挫やらを繰り返している始末...
 
 ここまでくれば、突き指は、ドッジボーラーの勲章だとか、職業病だ では済まされない...
 
 大人の指とは違い、細い指では、怪我もしやすいし治りも遅い。後遺症も気になる。
 
 それよりも、練習中の事故ということもあり怪我を負わせてしまった子どももまた被害者。心のケアが大事になります。”怪我させてしまった”って思ってしまう。決して、誰も悪いわけじゃないのに...
 
 突き指などの怪我も、初心者よりも少し慣れてきて上達し始めた時に起こりやすい。
 
 ぜひとも、怪我防止の対策を早急に検討して作り上げて欲しい! のです。
 
 怪我防止のためのグッズ開発、着用をはじめ、指導者への啓蒙、大会のあり方などを目に見える形で進めて欲しいと思うのです。
 
 決して、ドッジボールは危険なスポーツではありません。怪我のしやすさも他のスポーツとは変わらないと思います。特別、危険なスポーツではありません。
 
 だからこそ、小学生が行うスポーツだからこそ、スポーツとして、ドッジボールの良さを活かしながら、最大限の怪我への対策を検討して欲しい。
 
 ドッジボール界は、まだまだ”ひよっこ”です。弱い面もありますが、魅力いっぱいのドッジボールです。息子のように、何度も怪我で悔しい思いや辛い思いを味わわなければならない状況を打破して欲しい。
 
 ひざ当ては、必須グッズ。小生自身、突き指している指には、テーピングの変わりに、指サポーターというものを付けて練習しています。それでも、指を痛めちゃう。
 
 グローブには、異論反論あるでしょうが... 練習には有効だと思うし、ドッジボール向けのグローブがあっても良い!
 
 グローブ、ひじ当て、フェイスガード、ヘルメット... アメフトのように用具で覆われてしまうのもどうかと思うけど、練習時の装着の促進や大会などでも申請などでの利用可能にするルールがあれば...
 
 小学生がプレーする環境だからこそ、最低限の保護具は...必要だと思うのです。
 
 もちろん、大会は別!という考えでも良い。でも、プレーしやすい、少しでも安心してプレーできる環境を作りたい!
 
 全国の多くの、いや、ほとんどのチームが怪我や怪我のリスクには悩まされ、我慢し、辛抱し、悔しい思いをしています。
 
 もっと、ドッジボールの魅力を広げていくためにも! 散々、議論してきた内容だとは思いますが、さらに、さらに、議論を広め、深めていって欲しいと願うばかりです。
 
 小生自身も声を直接、届けていかなければと思っています。
 
 
 
Facebookでの話題
http://www.facebook.com/kawakamiakio/posts/233035656763901
 
 






スタバにオットマン


スタバにオットマン

出張で、郡山に。駅ビルの中にあるスターバックスに入って、ひと仕事。

地方と言うこともあってか、広々とした作りと雰囲気。

ふと、見慣れぬソファー。

そう、足を乗せるオットマン付きのソファーがあるではないですか。

さすがに、利用している写真を撮るのは忍びなかったので、出られてからソファーのみパチリ。


都会では、なかなか見られないカフェのオットマン付きソファー。

まさに、くつろぎの空間です。

試しに、座ってくつろいで見ましたが、小生にはこっぱずかしくて...長居はできませんでした。






2011年11月17日

Facebookのコミュニケーション持論


Facebookのコミュニケーション持論

Facebookを使い始め、いろいろと試行錯誤してきました。プライベート、趣味、ビジネス... IDを使い分けるのか、Facebookページをどう作れば良いのか、なにを発信していけば良いのか... 未だに、試行錯誤の連続です。

Facebookの大きな特徴は、ソーシャルツールであること。もちろん、設定をガリガリに使いこなせば、クローズドなツールとしても使えますが、なかなかメンバー全員が同じように使えるとは限らないので、中途半端になってしまいます。やはり、Facebookは、オープンなツールとして使うべきなのでしょう。

つまり、行動や発言、履歴などが公になると言う事実。良い面も悪い面も存在するでしょう。悪い面が、あるからと言って使えないと決め付けるのは早計です。良い面、悪い面を使い分けてこそ、メリットを享受できる。

つながりやすい。これは、大きなメリット。しかし、そのつながりの線をどう太くしていくかが、ユーザーに委ねられている。そんな気がする。

Facebookの様々なフィードを見ていて、コミュニケーションが一方通行だなと思うものが多く見られる。Facebookは、この問題に、いいねボタンというこれまたあいまいで薄いつながりの機能を付けて、陳腐化を防いだような気がしてならない。

とにかく、緩くて、薄いつながりをキープするのがFacebook。その細い線を辿ることで、多くの情報や関係が築けていける。しかし、それには、大きなリスクが存在することに多くの人が気づいてきた。つながることで、自分の素性がばれてしまうということ。匿名性でないことによるデメリット。だから、自分からはつながりに行けない。そして、コミュニケーションが一方通行になりがちになる。

しかし、素性がばれても良い人たちとの間では、使いやすいツールかと言えばそうでもなかったりする。相手が、Facebookを使っていなかったり、使いこなしていなかったりすることが多い。これでは、なかなか、インフラとしては活発に使いこなせない。あるグループ、仲間がいても、1人でもFacebookを使っていないとなると、そのグループ、仲間のツールとしては不成立になりがちになる。

では、どう使うのか、多くの人は、どう使っているのか...

自己表現ツールなのかもしれない。だからこそ、存在を知って、PRしたい人がFacebookユーザーとなっている。大企業の社員やお役所の人たちが、Facebookを使いこなしているとはあまり聞いたことがない。自分の素性を知られたくないと思う人たちである。社会的な立場のある人が自由に公の場に現われるのは、抵抗があるようだ。だからこそ、素性を隠して、個人としてFacebookを使うという一種いびつな使い方になる。

それでも、Facebookは、おもしろい。おもしろいとは、役に立つ、使えるということ。

使い方は、十人十色。でも、相手に使い方を強要できないのが難点か。

だからこそ、自分流の情報発信ツールとなっているのではないかと思うのである。







2011年11月16日

紙の手帳を使わなくなって


紙の手帳を使わなくなって

半年前までは、紙の手帳が主・正で、ネットや携帯のスケジュール機能が従・副でした。とっさの時に、紙の手帳に書き込んで、その後、ネットのスケジュールに登録するという流れ。スケジュールを確認するときは、やはり、紙の手帳を見てしまう。一番、正しいスケジュールだから。

では、なぜ、ネットのスケジュール機能を使うのか。同僚などにスケジュールを公開するため。何か、予定があるときも、ネット上のスケジュールの隙間に予定を入れてもらえる。小生の確認なしに。これが大きなメリット。

では、なぜ、紙の手帳を使うのか。見やすい、書き込みやすいからだろう。

この2重管理を1年ばかり続けてきた。それなりに、なってきたが、やはり、公開しているスケジュールと正しいスケジュールにギャップが生じるのは不都合が生じるし、そもそも2重管理は手間が多い。

そこで、紙の手帳を使わないようにしてみる。ネットのスケジュールを正にする。

小生は、そのスケジュールを確認するために、iPhoneスケジュールに連携する。毎朝、ならびに、予定が入ったときに更新する作業を行う。具体的な作業は、ネットのスケジュールをパソコンのOutlookに連携するツールを使って同期を取る。そして、iTunesを使ってiPhoneと連携する。iPhoneでは、標準のアプリではなく、SnapCalを愛用。ネットがつながらない場所でも、朝、同期を取ったスケジュールは、瞬時に確認できる。

スケジュールを登録するときが注意。ネットのつながる場所で、パソコン、もしくは、iPhoneで、ネットのスケジュールに登録する。この時点で、ネットのスケジュールとiPhoneでの確認用のSnapcalは、不整合を起こすがそこは我慢ww

落ち着いてパソコンを広げたときに同期を取るまでは... それでも、最新のスケジュールを見たかったら、ネットのスケジュールを見ればいいんだし、今まで困ったことはない。

iPhoneを使うようになって、iPhoneをなにかといじる機会が増えた。その際に、スケジュールも確認できるのがいい。いちいち、手帳を取り出す手間が要らない。

完全に、デジタル管理に移行した。

では、今手帳は持ち歩いていないかと言えば... バッグに忍ばせている。急にメモを取りたくなったときに使う。iPhoneのフリック入力では、ストレスを感じるような急な場面など。あまり機会はないけれど。手帳と言うよりはメモ帳になってます。

まぁ、やってみて慣れてしまえばこんなもんというのが印象でしょうか。

同僚とスケジュールの情報を共有できることで、余計な電話やメールがなくなり、話が早くなったことが最大のメリット。

いくつか、不満点はありますが、十分機能的に使ってます。






2011年11月15日

宣言しちゃう!


宣言しちゃう!

先日、なかなか守れない交通ルールとして、ブログを書きました。誰も見ていない赤信号で、渡ってしまうという話し。

守った方がいいと分かっていても、エゴが優先しちゃう。

そして、ブログで宣言しちゃいました。守ろうと。いや、守ってみようと。

そして、数日が経ち... どうなったか。

守れるんですね!

きちんと、赤信号を厳守する自分になっていました。

これって、どんな心境の変化なんだろうと考えてみましたが、変わったのはブログで宣言したことだけ!

心の整理がついた。あやふやだったことが言葉にすることで明確になった。宣言しちゃったら、やってみる。こんなところでしょうか。

心の中で、モヤモヤと思っていたり、考えているだけではダメと言うことなのかもしれません。

自分の言葉で表現して、宣言しちゃう。

これって、結構、効果あります!

あとは、これを厳守し続けるだけ。やり始めれば、出来ます。

やってみて、初めて分かることもある。

ぜひ、やった方がいいと思っているけど、なかなか実行できないと言うことがあれば、自分の言葉にして宣言しちゃう!

やってみてください! もちろん、心の強さや正義感は必要かも知れません。足りない人は、それが補充されるかもしれませんぞ。私が、そうでしたから。







2011年11月14日

iPhoneで、全角スペースを打つ!


iPhoneで、全角スペースを打つ!

iPhoneで、全角スペースを打ちたい! そんな場面に遭遇。あるアプリで、ユーザー名を入力したいのだが、そのユーザー名に全角スペースが含まれていた。あーだーこーだ、あじゃないか、こうじゃないかと試行錯誤するが、全角スペースを打てないことに、ようやく気づく。

おいおい...(汗

まずは、思い付いたのが、パソコンで、全角スペースを含んだメールをiPhoneに送って、全角スペースをコピーしてペーストする方法。

とりあえずは、この方法で急場をしのいだ。

しかし、全角スペースが打てないと言うのは不自由なことも多い。

そう思って、iPhoneに辞書登録しようとした。(設定 → 一般 → キーボード → ユーザー辞書) しかし、全角1文字分だけの単語は登録できないときた...(汗 (おいおい...)

そこで、” -”のように、全角スペースと意味のない1文字をセットにして単語登録。読みを”す”などにしておけば、すと入力すると” -”が打ち込めて、バックスペースで余分は”-”の文字を消すという操作で全角スペースが打ち込めることに成功。

これが、iPhoneの機能だけで全角スペースを打つ方法の一つの例です。

その他、辞書登録 Lite という無料アプリを使えば素直に全角スペースを打てるようですが、全角スペースだけのために、無料とはアプリを一つ入れるのはどうも釈然としなかったので、小生は、不採用にしました。

しかし、なぜに、iOS5にもなって、全角スペースが打てないのか...

ご愛嬌かしら...(笑







2011年11月11日

【ドッジ】40の手習い #dppmm


【ドッジ】40の手習い #dppmm

趣味は、何ですか? と聞かれれば、間髪いれずに「ドッジボールです!」って答えます。

しかし数年前であれば、その答えがなかなか出てこなかった。無趣味? 仕事が趣味? うまく表現できなかった。実際、趣味と言えるものがなかった。寂しいと感じたことはない。でも、今、夢中になれるものがあることがうれしい。

ドッジボールと言っても、様々な側面や活動があります。

息子の応援、自ら選手として、審判として...

この3つを重ね合わせて、楽しんでます。一番楽しいのは...どれもです! けど。

選手としてと言っても、大会で勝ち上がりたいというところには行ってない。正直、高校生や大学生と同じ土俵でぶつかり合うのは無理、無茶、無謀ですから。

きちんとした統制の取れた中で練習して、向上したい、うまくなりたいと思い、身体を動かすのが楽しいのです。若者のに混じっての練習... 小生が学生時代、野球部で汗を流した記憶や感覚がよみがえるのです。

まさに、40の手習い。

この歳になって、必死になれること、夢中になれることがありがたい。

必死になれる。夢中になれる。仕事以外で、楽しめることがあるってこんなにいいもんなのかと思っちゃう。

もちろん、嫌なことも、嫌なときも、面倒だなって思うときも、恥ずかしいときも、照れるときもあります。でもそれを含めてドッジですから。慣れました。周りから見れば、へんな親父と思う人もいるでしょうww でも、いいんです。

ドッジの予定(審判の要請が多いですけど)と家族の予定を重ね合わせて、重なったらどっちを優先すべきか考えて、時には、家族からブーイングを浴びせられたり、怒らせたりさせながらも、楽しんでますww

ドッジでの仲間も増えました。リアルもネットも。

だから、また楽しい。

お互いの利害関係がない、フラットな土俵がドッジボール。

少し、さらにドッジを追い続けてみようと思ってます。

あなたの趣味は何ですか? 答えられますか? ww


ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://www.dppmm.jp/

Dodge Ball Village ~ドッジボール村~
http://www.facebook.com/dppmm/






2011年11月10日

効率化とは言うけれど...


効率化とは言うけれど...

最近、よく考えること。効率化は全て良いようなイメージがあるけれど、現場ではそれだけではない要素が存在する。

極端かもしれないけれど、今、普通に仕事してこなしているとする。その仕事を効率化できるシステムやらツールを導入することを検討するとします。

一般的(机上論)には、予算との兼ね合いがあるにせよ、前向きに検討すると思われるのですが、実際は...

・今、普通に仕事をこなしている人の仕事を効率化、もしくは、標準化されて、誰でもできる仕事になることで、自分の存在価値が下がってしまうと感じる。
・仕事が効率化されて生じた時間が、暇な時間になってしまい、全体的には効率化が実現できない
・経営者、管理者が、効率化されて生じた時間を新しい仕事や別の仕事に割り振ることができない。

などなど。効率化されても、局所的で終わってしまい、その効果を享受できないと言うことがほとんどなのです。

例えば、今担当している人の仕事が、120%程度であり、効率化されて90%~100%に収まるようになったというのであれば良いのですが、なかなか、そんな状況は稀なのです。

普通に仕事して、困っていない現場に、効率化というのは、実は、好まれていない、求められていないことなのです。これをトップダウンで、行うためには、全体最適が必要なのですが、それができる経営者、責任者、管理者がいないと言う事実もあります。

もちろん、効率化されて、リスクの軽減。余裕を持った対応によるサービス向上などは期待できるのですが、それ以上に、反発や不満が生じてしまうのです。

これでは、何のために品質の高いサービスやツールを導入するのか...

コンサルタントなどの机上論を商売にする人と、現場を知り業務の最適化を支援するアドバイザーとの違いが、見え隠れします。

言葉にすれば、うちの会社には合わない。時期尚早で表現されてしまう。でも、実はそれは、全体最適できないスキル不足ということなのかもしれません。






2011年11月09日

凹んだ


凹んだ

久しぶりに凹んだ。(今日ではないですよ。数日前の話しです...)

いや、凹んでいるのはいつもだけが、今回の凹み具合が強烈だった。

1日、引きずってしまう。仕事が手に付かない...

さて、どう立て直すか。 凹みながら、冷静に考えてみた。

呑むか? 騒ぐか? 仕事するか? ...

どれも、どうもできそうにない。

時間が解決してくれるのを待つか? 積極的に、解消しようとするか?

悩む...

とにかく、歩くことにした。散歩だ。これを時間が解決してくれるとするか、積極的な解消法かはよく分からない。でも、意味もなく歩くことにした。

歩きながら、考える。と言うより整理する。

そして、どうしようかと計画を立てるというか、空想する。

歩きながら...

そしたら、少しずつ、落ち着いてきた。気持ちが。

でも、凹みが元に戻るほどではない。それでも、少し、落ち着いてきた。

まっ、今から、ここから”リスタート”しようと思えるようになってきた。無意味で、無理無駄なリカバリーはしない。そう思えただけでも、ありがたい。散歩の効果。

まさに、頭に血が上っていた状態から、普通の状態に近づいた状態。

状況は変わらない。でも、気持ちは変えられる。気持ちが変われば、状況を受け止められる。

凹んだ状態で、急激にリカバリーしようとして、余計に状況を悪くすることがほとんど。頭に血が上った状態では良いことはない。

このことを少なからず理解しているので、散歩した。

それでも、状況は変わらない。でも、受け止めようと思えた。

リカバリーは、ここからだ。


これが、小生の凹んだときの対処方法。 なのかも知れない...







2011年11月08日

した方がいいと思っていても...できないこと


した方がいいと思っていても...できないこと

した方がいいと思っている、するべきだと思っていても、できないことってありますか?

小生は、頭の中では、した方がいいものはするべきだ、しなければならないと思っていますが... なかなか、自分自身を振り返ると、できていないことに気づかされます。

どんなことでも、守るべきものは守る、した方がいいと思ったことはするべきだと分かっていても、いざ、その場面に出くわすと...

多かれ少なかれあるのではないでしょうか。しかし、コレをなくしたい! そうすれば、結果的にはよくなるはずだ! と思っています。

小生の場合は、たくさんあるのですが、頻繁にこのことを思い返され、その都度反省するけれど、なかなかできないことがあります。

それは、信号無視。

短めの横断歩道。歩道は、赤信号。しかし、通るべき車は、皆目見えない。誰もいない。誰も見ていない。そんな場面。つい、信号無視して横断歩道を歩き始めてしまう。

きちんと信号は守るべきものだと分かっていても、我慢できない。

そして、渡りきるかきらないかの内に後悔...

他にも、たくさんありますが、このケースが多い。反省しているのかしていないのかも分からないまま、また信号無視。

子どもが一緒にいれば、その衝動にも歯止めがかかる。しかし、一人の場合は...

きちんと、信号を守れれば、これだけでなくほかのことも遵守できるだろうし、やるべきこと、したいことはできるようになる。そう思うのだが、信号無視している間は、小生自身、成長は鈍化するだろう。退化しているかもしれない。

それでも、渡っちゃえって思っちゃう。思っても、自制できれば良いのだが...

そう思って、文字にした以上は、次のケースからは立ち止まることを決意する!

そのための決意のブログなのだ!






2011年11月07日

結果は大事。でもその結果を出した”こと”がもっと大事。


結果は大事。でもその結果を出した”こと”がもっと大事。

ものごとは、特に、ビジネスでは、結果が大事、結果が全てと言われることが多い。まさに、結果無くして語れない。プロセスはどうでも良いと言うわけじゃない。しかし、結果を出すことが求められるのが、社会でありビジネスである。

(ここで言う結果を出すと言うことは、予定通り、予定以上の結果を出す意味として考えていきます。)

あえて、結果だけ見るという荒業もある。しかし、これは、プロセスの質が高まったあとに出来る業。

結果を出すというのは、言うほど簡単じゃない。そのプロセスを評価したり、参考にしたり、批判することが難しいのだ。

運もある、実力もある。同じ人だって、同じことして同じ結果が出るとは限らない。それでも、結果を出すことが凄いのだ。

結果が凄いのではなく、結果を出す人が凄いのである。

凄い人が結果を出すのでもなく、凄い結果を出した人が凄い。

なんだか、似たようなフレーズは聞いたことがあると思うけど、まさに、そう思う。

誰もがやれば出せる結果もあるだろうが、やはり、それをやって結果を出した人が凄いのだ。

現実化して、目に見えるようにする。また、結果を確定させる。これが、結果をだすことでもある。

全ての人が、結果を追い求めている。結果を追い求めない活動は社会、ビジネスにはない。

結果出ないで苦しんでいる人がほとんど。そんな中、結果を出したら、その人が凄いんです。方法でも計画でもアイディアでもなく、その人が凄いんです。

多くの経営者の方々と接していると、そんなことを感じるようになりました。






2011年11月04日

小さい頃見た大人の姿


小さい頃見た大人の姿

子どもの頃の親をはじめとした大人の姿。すごく、立派に見え大きな存在だったような記憶があります。その一方で、40を超えた大人になった自分を見れば、子どもっぽさが目立ち、子どもの頃に見た大人像とのギャップを感じるわけです。

まぁ、大人の事情ということが見えてきたと言うこともあるでしょうが...(笑

子どもの頃、大人になったら、やりたいことがいっぱいあったような気がします。お金を好きなように使いたい、食べたいものを好きなように食べたい、仕事をばりばりしたい...などなど。怒られる人がいないから、好き勝手にできるぞとか、子どもができたら、一緒に遊ぶぞとかも。

みなさんも多かれ少なかれ、そんな思い出がよみがえるのではないでしょうか。

そんな大人になったら...やりたいことがどれほどできているか...

また、まだ、できないでいることは何か?

そして、あえてやらないでいることは何か?

ふと、照らし合わせてみたら、おもしろいかもしれません。

小生の場合...

お金を自由に使えるというものがありましたが、半分は達成しているような気もしますが、もう半分は、まだまだ達成感を味わっていません。というより、味わえません(悲 それでも、わずかな、小さな財布の中で悩みながらも自由にお金を使える自分がいます。子どもの頃の思いからすれば、達成しているんですね。

そして、仕事。子どもの頃の仕事感というのは、まさに漠然としたもの。偶像そのもの。そして、今目の前のビジネス、仕事とのギャップは、大きい。バリバリ働くという姿は、今で言う実業家に近いイメージでした。また、実家がそば屋だったこともあり、商人という姿も思い描いていたような気もします。そして、今。仕事のおもしろさを感じながらも、辛さと同居する心境は、全くの異次元。比べようがないというのが実感... まだまだ、追い求めていかなければと強く思うのです。

そして、親としての自分。実際に2人の子どもを授かった今。反省しきりです... 子どもには苦労させたくないと思いながらも甘やかし過ぎないことと考えれば、これまた異次元の感覚。でも、言えることは、子どもに救われることがなんと多いことか... 奥さんと子どもたちに感謝することが多い。それでも、パパ嫌いとか、あっち行ってという言葉を投げかけられる現実。それでも、感謝の方が大きいのだから、家族、家庭こそ宝なのかもしれません。

小さい頃の見た大人の姿と今の自分。ギャップだらけではあります。

そして、今、老後をイメージするのです。必ずや、今思い描く将来の自分とはギャップのある老人に鳴っているでしょう(笑

それもまた、人生...






2011年11月02日

社会のルール


社会のルール

社会には、ルールがある。しかし、ルールは、マナーではない。どうもルールを軽視しがちになる。自分の欲とか楽が勝ってしまう。頭の中では、守ったほうが良いと分かっていても、つい...

小生も全てのルールを守っているかといえば、自信を持って”守っている”とは言い難い。誰もがそうだろう。だからこそ、社会の雰囲気が許容になってしまう。

しかし、ルールはルール。

守ったほうが良いではなく、守らなければならないこと。

では、どうすれば、ルールを守る雰囲気ができるのだろう。そんな研究はないのだろうか。

許容の雰囲気を厳守の雰囲気に。住みづらい、行動しづらいと思われるかもしれないが、雰囲気が社会を変える、価値観を変える。さすれば、それが当たり前になるのではないか。

警官がいれば、ルールを守る。警官がいなければ、許容になる。それでは、いけない。しかし... それが、今の日本。

誰かがいるから、誰かが見ているから... そんな何かを気にしながら行動を変えるようなことでは...と書きながらも小生自身反省しきり...

子どもの手本になるような大人の行動をとりたい。いや、とらなければならない。

損しているようで、それは損じゃない。理屈では分かるが、つい...

まさに、”つい”なのである。

誰も見ていなければいいのか... 誰にも迷惑かけなければいいのか...

自問自答。そして、反省。

社会のルール。これは、うまくいくための確率論からうまれた定石みたいなもの。

ふとしたときに、思い出し、行動を改める。この機会を多くするしかない。

社会のルール。守るべきルールなのだ。






2011年11月01日

我慢 と言った瞬間に、目の前の幕が閉じる


我慢 と言った瞬間に、目の前の幕が閉じる

人生もビジネスも楽しいことだらけではない。結果がすぐ出るものもないだろうし、じっと時間をかけてこそ成熟するものが多い。また、環境を変えることが難しく、その理想ではない環境の中で、継続することも多い。

ここで、”我慢”という言葉が頭をよぎる、言葉がちらつく。

よく、我慢しなさい、我慢しよう、と言葉をかけたり、かけられたり。

しかし、我慢という言葉は、どうもネガティブだ。ネガティブな思考に未来はない。

我慢しようとか、我慢しなさいと言った瞬間に、その先にある未来は暗い。それでも、我慢しなければならないときもある。

しかし、同じ状況でも、好転するまで待つ、好機を狙う、と言った言葉が出てくるようであれば... 結果も違ってくるのではないだろうか。

我慢しなければならないときもある、我慢してはいけないときもある。しかし、どうもこんな言葉のやり取りは、暗い。

好転するまで待つ、好機を狙う。こんな言葉でやり取りできるようになれば...

我慢することも好機を待つことも同じかもしれない。でも、何かが違う。その何かが、何かを動かす。そして、結果すら大きく違えるのかも。

そう、思うこと、そう思おうとすることからのスタート。

”我慢”、”我慢する”は、使いたくない言葉である。







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