WBI コンシェルジュのブログ
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2012年01月31日

クラウドというけれど


クラウドというけれど

パソコン、CPU、ブロードバンドの発達。その成長でようやく活用し始めたのが、いわゆるクラウド技術。

しかし、その存在や活用方法が紹介されて、いまだまだまだ、浸透しきれていないというのはなぜだろう。

今のままで十分?

移行が、面倒くさい?

セキュリティが不安?

活用方法が、イメージできない?

使いこなす社員がいない?

多くの企業では、こんな言葉が返ってくるという。なんと、後ろ向きなんだろう。

アメリカなどでは、クラウドが当たり前になり自社の主力・本業の価格競争に優位に働いていると言う。クラウドなしのビジネスは、ありえないとも言う。

しかし、日本では...

大きな理由の一つが、大企業が全面的に採用していないということだろう。コンプライアンス! 情報漏洩! この2つの言葉がこぞって阻害している。

笑えない話だが、クラウドサービス企業の自社社員が、ノートPC持ち出し禁止、自宅での業務禁止、社内情報の持ち出し禁止、業務メールの転送禁止... こんな状態では、クラウド活用なんて必要がないというより、無理である。

結局、クラウドの恩恵を受け、積極的に活用しているのは、一部の個人経営、零細企業と個人なのだろう。

パイが小さい世界でしか、活用できていない。

そのせいか、クラウドサービスも和製のモノをなかなか見かけることができない。いいものと言われるものは、外国産。そのうちに、日本語化されているものだ。

日本の企業が打ち出すクラウドサービスというのも、何だか一般的ではなく元的なものが多い。業界、業種、規模、費用感...

小生自身、クラウドを活用しているかと言えば、まだまだ序の口だろう。まだ、クラウドツールでも有料で活用しているものは、極わずかである。

クラウド先での情報漏洩を心配するより、社員からの漏洩や置き忘れのリスクの方が明らかに高いだろうし、自社内でサーバーやその管理、ネットワークを維持する費用の方が高額なのに。

その上、時間と場所の制約が小さくなる、自由度が上がりビジネスチャンスや範囲が格段に広がる。

きっと、社員を信用していないんだろう。経営者自身も信用されていないのだから...

だから、経営と現場が一体化されているビジネス、ビジネス母体でしかまだ活用されていないのではないかと思うのである。

大企業とは、そういうものなのだ。決められた仕事を決められたとおりにこなすのが、大企業の特性。新しい、アイディアとか革新というのはやはり、リスクを負える小さな、小さな冒険者たち。

そういえば、雲も良く見れば小さな小さな水滴の集りである。クラウド(雲)とは、よく言ったもんだ。






2012年01月30日

笑顔


笑顔

笑顔... 素敵です。笑顔で救われることも少なくありません。だから、笑顔でいたいと思う。

しかし、社会人になり、歳を重ね、責任を負うようになると、笑顔をいつの間にか忘れてしまう。笑顔の作り方さえ分からなくなる。家でも笑わなくなり、ムスッっとしてしまう。そんな生活に陥ってしまう人は少なくない。小生もそんな一人だろう。

無口だから、性格だから、慎重だから...そんな修飾語が付くか、興味がない、無愛想、無関心という就職語が付くか、それで、イメージは変わり、対応も変わり、環境も変わっていく。

でも、笑顔があれば、そんな修飾語は全て吹っ飛ぶ。笑顔には笑顔が集まる。笑顔が笑顔を作る。単純なこと。笑顔があれば...笑顔で救われる... 笑顔が一番...

笑うと笑顔は、違うかもしれない。笑うは作れないが、笑顔は作れる。素敵な笑顔の持ち主になりたいものだ。そして、素敵な笑顔の人の近くにいたいと思うものだ。

なんだかんだと理屈をつけてきたが、笑顔が一番。

でも、笑顔でいるって、簡単じゃない。

困った時、悩んだ時にこそ、笑顔でいる。それが簡単じゃないから、素敵な笑顔の人の近くに行く。笑顔のお裾分け。

人が集まる人の魅力のひとつが笑顔。誰もが持っているもの

今日もめいっぱいの笑顔で過ごしたい。







2012年01月27日

WANT から MUST に変わると


WANT から MUST に変わると

仕事でもプライベートでも、考えること、行動することは、”やりたい”ことであれば幸せなことだと思います。その思考、行動からもさらに成長・発展でもできるでしょう。しかし、やりたいことでないこともやらなければならないのが世の常でしょう。かっこいい言い方をすれば(?)、WANTとMUSTです。

とっかかりは、WANTであっても次第にMUSTになることも多くあります。気持ちの持ち方次第と言えばそれまでですが、責任が付きまとうと、どうしてもWANTからMUSTに変わらざるを得なくなるでしょう。MUSTだけれどもWANTと同居できれば一番いいのかもしれません。

小生もWANTとMUSTを両方掛け持ちして、やりくりしているのが現状です。そんな中、WANTは楽しい、MUSTはつまらないといった単純な構図だけではないことに最近気づいてきました。

思考、行動...そして、その結果。当初の予定通りになることなど皆無であり、ほとんどは多かれ少なかれ、想定外とか、例外、思っても見なかったことへの対処を経て、結果に結びつく。大事なのは、机上の論理以外での対応・。対処の方法である。

上手くこなすコツは、様々、個人的にもあるでしょうが、共通しているのは早期発見、早期対応ではないでしょうか。ここに、WANTとMUSTの違いが出てきてしまうと思うのです。

WANTであれば、些細な変化や違いが何となくでも察知するものです。しかし、MUSTになっていると、意識が細かいところまで届かないせいか、大きな違いになるまで把握しにくい。

だから、WANTとMUSTでは、結果が異なってくることも多いし、その経過もWANTは楽しいし、MUSTは辛いのかもしれません。

WANTは、結果的にうまくいく。そんな言葉もあながち間違っていないと言うことだと思うのです。だとすれば、以下に、MUSTの中からWANTを見つけていくか、作っていくか... この作業と言うか視点の転換ができると、楽しく思考・行動ができるのではないかと思うのです。

でもまぁ、そんな単純で、簡単なことではないですけどね。(笑

大事なのは、WANTの気持ちこそ例外・想定外への対応がうまくいくということ。正常系と異常系の融合こそがものごとのあり方であれば、その異常系の対処こそが、人が担う部分であり、責任も大きいものかもしれません。

WANTとMUST。今、抱えている思考・行動がどちらなのか... 一度、そのことを見つめてみるのも大事なこと。そして、MUSTの割合が高いものについては、視線を変えてみること。そんなことで結果が変わってくるのかもしれません。







2012年01月26日

つながりというけれど...


つながりというけれど...

ツイッター、Facebookなどソーシャルコミュニケーションが台頭し、つながり、つながり力なるキーワードを多く目にするようになりました。

昔の友人、友人の友人、そして。またその友人と簡単につながることができるのも、前にはない新しい関係です。

そして、数字化されることで、つながりの量が比較されるようになり、自慢となるのも自然な流れ。

フォロワー数、フォロー数、友達数などをやみくもに数を上げようとする。あたかも、フォロワー数やフォロー数、友達数の大きさがその人の影響力を示すかのように。

本当に大事なのは、つながり方のはずなのに、つながりの数に固執する。それは、数字化できるのが、つながりの中身ではなく、つながりの数だけであるから。

また、つながり数を誇示するのは、自慢したい気持ちもあるだろうが、仕事に活かしたい、仕事につなげたいという思いのあらわれである。プライベートの目的だけであれば、自慢したい気持ちを除けば関係のない人とのつながりなんて価値がない。自慢自体も意味がなくなってくる。

その流れが、つながりの接点の創設に注力し、つながりの中身、強さ、重み、継続には無関心になる。これが、今の流れなのだろう。

とはいうものの、つながりの中身、強さ、重み、継続などと言葉でもって、説明している時点でもはやネット病、ソーシャル病にかかっている...(笑

ごく自然に、心地いいつながり、頼りになるつながり、なくてはならないつながりなんてものは、意識せずとも中身、強さ、重み、継続に時間と頭を使っているものだ。

もちろん、意識しなくてもつながる関係になるには、運、縁、恩が必要だと思う。ネット上のつながりの関係でも、意識せずにつながっている人もいる。つながりの多様化は確かにある。つながっていることでの安心感も理解できる。しかし、どうもつながりを意識しすぎると暴走してしまうこともあるようだ。

不確かな、目に見えないつながりを意識するがために、自己表現を強調しすぎたり、誇示しすぎたり、背伸びしすぎたり、自慢しすぎたり... 不安定なものを安定させようとすることに無理が生じる。

大事なのは、自分自身。自分自身を成長させるために必要な関係でなければならないと思うのだが、強調、誇示、背伸び、自慢は、自分自身を崩壊させるきっかけとなる。そんなつながりだったらいらない。

大切なつながり。そんなつながりを求めていきたいし、作っていきたい。一つ一つのつながりは大切なものである。大切なつながりを大切な関係に、育てていきたい。それには、数も限界がある。個人差はあると思うけど。

最近のつながりの多様化の流れ。もちろん、否定はしない。積極的に利用していきたい。その中で、自分自身の成長とか、自分自身の確立がなければ、社会の流れに飲まれてしまう結果になってしまう。






2012年01月25日

何歳まで働けるのか、何歳まで働きたいのか、何歳まで働かなければならないのか。


何歳まで働けるのか、何歳まで働きたいのか、何歳まで働かなければならないのか。

今、小生は45歳。社会通念上(?)の定年60歳まで、あと15年。下の息子が、10歳。25歳になる頃、定年を迎えることになる。

ただ、小生の場合、経営者の一面もあり定年という千引がないので、その先も働く意思と能力がまだあれば、働いていたいという気持ちもある。その一方で、隠居生活に憧れたりもする。

制度上では、定年を希望者には延長するという流れが出てきたが、さてさて、一体、何歳まで働けることやら。

年金がもらえるのが65歳。空白の5年とも言われる。実際、自営業者など、厚生年金の上積みがない年金支給額では、生活なんてできそうもない。自営業者は、定年も関係なく何らかの方法で働き続けないと生活もままらない。かといって、サラリーマンなど厚生年金の上積みがあったとしても、それだけで普通の生活が送れるのかどうかも不安である。

貯蓄ができていれば、多少は安心出来るのかしれないが... そんな余裕が、今のデフレの時代に期待もできない。

仕事... 生活... 老後... 少子化... さてさて、小生の15年後は、一体どうなっているのやら。不安が不安を呼ぶ。だから、考えるのをやめる。悪循環である。

仕事といえども、15年も続けていられるとは限らない。数ヶ月先の仕事だって、安泰じゃないのに。

仕事も生活のための仕事。社会貢献のための仕事。趣味での仕事。時間つぶしのための仕事。やりがい・生きがいの仕事...と様々な側面がある。

やり続けたい仕事、しなければならない仕事、やれる仕事、したいけれどもできない仕事...

こんなことを考えると、正直、不安にさいなまれる。

ただ言えることは、大学に通えて、卒業し、およそ20数余年。なんとか、やってこれたという過去・実績。きっと、この先もなんとかやっていけるだろうという思い。これしかないのである。

こんな些細でもろく不確実な思いをカテに、この先、15年、いやそれ以上、働いていかなければならない。働けていければ、まだマシな方。働ける環境が、なくなってしまうこともある。いや、まさにその落とし穴をかいくぐって、生きていかなければならない。

こんなスリリングな環境を楽しめるか、怖がるか...

どうせ、進まなければならないものならば、楽しまなければ損である。また、やり直しが効かない道ならば、恥もプライドも捨てて、歩み続けなければならない。足を踏み出すこと。このことを忘れなければ、道はその先に開ける。

小生は、死ぬまで、働いていたい。そう考えるようになった。隠居生活は、小生には似合わない。

仕事の種類は、変わるだろうが、仕事を通じて社会とつながりを持っていたい。

できることならば、やりたい仕事を通じて...

何歳まで? そうね...80までかな?! そう、まだあと、35年。頑張らねばである。

人生の折り返しに過ぎない今である。







2012年01月24日

意識を変える どうすれば?


意識を変える どうすれば?

人の行動って、自分自身ではなかなか見えにくいものです。しかし、身近な他人からみえば、人の行動、その変化や意識ってよく見えてしまう。

意識って、四六時中気を張り続けていられるものでもない。気が緩んだとき、それは表情や言葉っじり、行動に表れてしまう。それを他人が見たときには、その緩んだ表情、言葉、行動がその人の全てと判断してしまうこともある。

自分では、一生懸命やっているつもりであっても、実際に真剣に真面目に一生懸命やっていたとしても、行動、表情、言葉に張りがなければ、他人には真剣さが伝わらない場合もある。

特に、小生がそう感じるのが、趣味でもあるドッジボール。

公式ドッジボールは、小学生を中心に中高生、シニアで競技として繰り広げられているスポーツである。小学校の体育の授業のドッジボールとはちょっと違う。

大会などの試合では、公式審判が必要である。ドッジボール協会なるものが存在し、審判も公式審判員として登録されている。小生もC級審判の一人である。子どもたちは、まさに真剣に、必死にドッジボールに取り組んでいる。当然、その応援団はさらにそのドッジボールに思い入れが強い。ドッジボールの試合をジャッジする審判が、緩んでいられるはずもない。この緊張感や高度なスキルが審判を志す、審判に携わる大きな魅力の一つではあるが、まさに、ゆるみなどあってはならない立ち位置の役割なのだ。

そのために、審判は、できる限りジャッジに個人差があってはならないし、動作(所作と言いますが)も個人差、我流があってはならない。毅然とした行動が求められる。だからこそ、達成したということもなく、日々精進していかなければならない。

審判をさせていただいて、正直、微妙なジャッジは、個人差が出てしまうのは仕方がないことかもしれない。大事なのは、正しいジャッジできるように、できる限り正しい位置(見やすい位置)に移動することを惜しまないことでもある。

しかし、それよりも大事なのは、動作(所作)である。ルールブック上、審判の動作も規定されている。また、毎年、統一確認事項として審判の動作も統一化されるよう協会から各都道府県に伝達されてくる。

しかし、これはまだ机上の話。実際に、動作する審判の意識がなければ絵に描いた餅、机上の空論になってしまう。手を伸ばす動作があるが、肘をきちんと伸ばしているか、水平になっているか、指が揃っているか... 笛の吹き方も強さ、キレ、長さなど様々なポイントが存在するが、細かいポイントを意識しなければ、腕を伸ばしている、笛を吹くなどアバウトな動作で満足してしまう。しかし、きちんと細かいポイントを満たした動作とそうではない動作を比べた場合、他人はどう感じるだろうか。

綺麗さ、厳格さという、うまく正確に言葉にできない感覚も存在し、動作から受ける印象も大きく違うのではないだろうか。

きちんとジャッジしよう、正しいジャッジができるように動こう、ジャッジが広く正しく伝わるよう動作を明確にしよう、曖昧なジャッジをしないなど、意識を持って初めて動作が変わってくるのである。

他人からみれば、テキトーな動作をする審判は、テキトーなジャッジしかできないと判断してしまうのも仕方ないこと。であえば、スキルは低くても、厳格な動作をすることで周りを納得させることもできるはずである。

では、意識を変えるにはどうすればいいのだろうか。

意識を変えるのは、実は簡単なことなのかもしれない。上手くなりたい、幸せになりたい、認められたいと思うのは誰しもが思うことであり、そのために、どうしなければならないか、どうすればいいかまでは思いつくだろう。しかし、そのアイディアを行動に移せない人がなんと多いことか。小生もそのうちの一人ではあるけれど。

なぜ、行動に移せないのか...

そこに、失敗したときの恐怖、うまくいかずに逃げ出した時の恥ずかしさがあると思うのである。

やる前から、失敗したときのことやうまくいかなかったときのことを考えてしまう。

真面目に取り組んで失敗した、うまくいかなかったときの恥ずかしさ、劣等感を想像してしまう。だからこそ、自然に、無意識に防御行動が生まれる。つまり、真面目にやっていなかったからという理由が欲しくてテキトーな行動で挑戦するという中途半端になる。その結果、やはり、うまくいかなくなる。

退路を断つ覚悟。つまりは、失敗してもへこたれない強い気持ち。これが必要なのではないだろか。

失敗してもそこでやめてしまうから失敗なのだ。振り返り、反省し、継続して、その結果、時間はかかっても成功すれば、その途中の失敗は成功の一部となる...と考えられれば。

ドッジボールの審判員は、場数こそがスキルを上げる唯一の方法である。失敗、ミスジャッジは、つきものである。でも、それを乗り越えられる審判員の動作こそが美しい動作であり、正しいジャッジである。それが、間違ったジャッジであったとしても。

強い気持ち、強い心。それは、恥ずかしいと思う気持ちを拭い捨てられる勇気である。

強い気持ちを持ち続けることこそが、他人から認められ、欲しい結果が得られる条件でもある。

恥と信頼は、表裏一体。信頼を得たかったら、恥る部分を持ち合わせ、引っくり返さなければならない。

恥と信頼が1枚になったカードを持ち合わせたとき、そのカードは最強になる。







2012年01月23日

責任転嫁


責任転嫁

「責任転嫁」。この言葉を見て、どう感じるだろうか?

無責任という印象を抱く人が多いのではないでしょうか。小生も数年前までは、そう感じてきた言葉です。

しかし、最近は、責任転嫁こそ”できる人”の条件であると考えを改めているのです。

自分の人生、家族の将来、仕事や社会の中の荒波の中、全ての責任をきちんと自分で背負うのは無理であると自覚してから...

責任転嫁とは、自分にはない他人の力を自らの勢力に加えると言う意味でもあることに気づいたのである。

もちろん、核となる部分は自らがきちんと責任を負い、思考し、行動する。

自分の手に負えない部分や負いたくない部分、負わなくてもいい部分は、他人に委ねる。最終的な責任は負うものの、大部分の責任を他人に転嫁することで世界が広がる。

このことが、身を持って理解できたのが、40歳を超えてからだろうか...

仕事も同じ、家庭も同じ、スポーツも、地域活動も、遊びも...

うまく他人を使う、サービスを使うということが大事。なかなか、それができないものである。特に、誰もしたことのないものや初めて経験するようなものの場合は。

地に足をつけた上での責任転嫁。

大盤振る舞いはどうかと思うが、風呂敷を広げるくらいは良いのではないだろうか。






2012年01月20日

プロフェッショナル向けICT支援


プロフェッショナル向けICT支援

ICTとは? 、情報・通信に関連する技術一般の総称である。従来ひんぱんに用いられてきた「IT」とほぼ同様の意味で用いられるもので、「IT」に替わる表現として日本でも定着しつつあるようです。

どんなビジネスでも、プライベートでも、ICTをうまく使う、活用することがもとめられています。

小生自身もICT活用支援をビジネスとして、様々な企業や起業家様と接してきました。そこで、感じてきたのが、プロフェッショナル(士業:弁護士、会計士、弁理士、医師、税理士など)の方々は、一人、もしくは、数人で仕事をされていることが多いのですが、ICTの活用がうまくできていないということなんです。なぜだろうって、考えているのですが、母体が小さいので外部支援の費用の影響が大きい、本業はプロフェッショナルでもICTに関するノウハウがないので接点がそもそもない。今で満足していて、ICTを活用した場合のイメージができない。などなど、が共通項として挙げられるようです。

特徴的なのが、異文化と思われているICTに関しての相談相手がいらっしゃらないということに集約されるのかもしれません。

小生自身、会計士さん、弁護士さん、そして業務コンサルタントさんなどのプロフェッショナルの方々のICT支援も携わってきたのですが、状況や環境、狙いなどはまさに人それぞれ、十人十色なんですね。パッケージ化できないのプロフェッショナル支援の特徴。

話して、冗談言い合いながら、でも、時には真面目な話して... そんな中から、ICTの活用方法、そのプロフェッショナルにあった活用方法が見つけられるのです。

本業に密接にリンクするものではあるものの、なかなか手がつけられない... そんなイメージをお持ちになっているのが、ICTではないでしょうか。セキュリティ、内部統制、信用力...にも大きくリンクしています。

そのために、毎月多額の費用をコンサルティング費用とか顧問料などの名目でむしり取られるのは、イメージできないのもうなずけます。

そこで、薄くて熱い関係性をご提案し、安心してICT活用を考えていただくきっかけになればいいのではないかと思うのです。

プロフェッショナル向けのICT支援。

薄く、安く、軽い... でも、熱く、厚く、確実に...

パソコン、ネットワーク、セキュリティ、事務、アシスタント支援...ワンストップで、何があるか、何が起こるか分からないその何かを相談できる相手。

モヤモヤしているアイディアを現実化するための雑談、つぶやきを聞いてくれる相手。

押し売りせず、財布事情を理解してくれるパートナー。

そんな存在なのかもしれません。

ひとつの挑戦として、弊社のWEBにもサービスの一つとして具体化してみました。

もし、おっ!っと気になった方は、アクセスしてみてください。そして、ご連絡ください!

SFJソリューションズ:プロフェッショナル向けICT支援
http://www.search-firm.co.jp/it/professional.html

多くのプロフェッショナルの方が要望していらっしゃるのが、ファイルの管理、整理、活用術。

その一つの解決策として、フォルダ管理からワンフォルダ管理・キーワード検索管理方法。フォルダ管理は、便利なようですが、ファイル数が多くなればなるほど不便になります。見つけられない、死んでいるファイルが多くなる、見つけられない... まさに、機会損失、財産損失。そこで、あらゆるファイルをひとつのフォルダに入れておけばいい! 見つけるのは、ファイル名でもいいですが、Yahoo、Googleなどのキーワード検索と同じ方法で引っ張ってくる。もちろん、ファイルの中に書かれた文字でも検索します。これが、オープンソースで実現できちゃう! だから、安く構築できる。 あとは、どう使うか...どう活用するか...

外出先での情報アクセス方法とか、リンク・シンク方法など、同じような悩みはプロフェッショナルの皆さんは同じようにお持ちなんです。

iPhone、iPadの活用...

もっと、本業のプロフェッショナル業務を楽しく、かつ、効果的に活かせますよ!






2012年01月19日

儲けたいのか 働きたいのか 認められたいのか 貢献したいのか...


儲けたいのか 働きたいのか 認められたいのか 貢献したいのか...

年に数回、考えさせらるテーマがこれ。

なぜ、働くのか?

生活するため。これは、当たり前。でも、それ以外にも、大きなモチベーションとなる要素がある。

儲けたいのか 働きたいのか 認められたいのか 貢献したいのか...

どれも、詭弁のようにも捉えられるし、本音のようにも思える。

小生自身の働くためのモチベーションの拠りどころになっているのはなんだろうか? そう、考えるのである。

儲けたいし、働きたいし、他人から認められたいし、社会に貢献したい。かっこよく思われたいし、できる人になりたいし、できる人だとそう思われたい。

でも、そのための努力を費やせていないことが、いつも悩む原因であることに気づく。

儲けたいなら、どうすれば儲けられるかを考え行動しているか。

働きたいというが、どんな仕事をどういう風に働きたいのか、そして、働いているのか。

他人から認められるために、社会に、他人に何を提供すればいいのか、何を提供してきたのか、何を求められているのか、何ができるのか。

社会に貢献するために、何ができるのか、どう貢献できるのか、なにをすべきなのか。

結局は、ダラダラと普段通りに、できることしかしないから、同じ疑問にぶち当たる。

何もせずに得られるものはない。得たいものを得るには、得るような努力と行動、戦略が必要ということ。

いつも同じ疑問を考えながら、そう気づく。では、今年、何かを変えられるか? 変えようとできるか?

そう、思ってしまったら何もできない。変えれるかではなく、変えるのだ。

働くのは、当たり前。いや、働きたくても働けない人も多くいる。働ける環境で、どう働くか。一生懸命。そう、一生懸命に働いているかだ。

来年、何のために働くかって、考えられないような1年にしようと思う。

そのために、気付きを考慮に変え、行動に移す。これが、今年のテーマ。手帳に書き写し、毎日見る!






2012年01月18日

【ドッジ】さぁ、今年度の集大成 春の全国大会が始まります


【ドッジ】さぁ、今年度の集大成 春の全国大会が始まります

公式ドッジボールの今年度の集大成。第21回全日本小学生ドッジボール選手権大会、いわゆる春の大会が始まります。

夏の大会と異なり、各都道府県の上位チームがブロック大会に出場して、ブロック毎の全国大会出場枠を争います。ちなみに、夏の全国大会は、都道府県優勝チームが全国大会に出場します。高校野球の春と夏の出場選抜の違いと似ています。

我が、息子のチームは、東京都所属。都大会の出場件を得るために北予選、南予選、西予選のいずれかに出場し、上位に入らなければなりません。息子のチームは、1月21日(土)の北予選にエントリーです。

東京都大会は、2月19日(日)。その上位4チームが、2月26日(日)の関東大会に出場して、全国の切符を争います。

その熱戦が、1月8日の青森県大会を皮切りに全国で火花を散らしているのです。

そして、その選ばれし勇者たちが、

3月24日(土)第2回 春の全国女子小学生ドッジボール選手権 全国大会、
3月25日(日)第21回 春の全国小学生ドッジボール選手権 全国大会

として、日本ガイシホール(名古屋市南区)に集うのです。

高校野球と違い、春の大会がその年の集大成の大会! 小学6年生にとっては、最後の大会になります。

その大会に向けてのラストスパート。熱い戦いが全国で始まっています。

もし、チャンスがあれば、公式ドッジボールの迫力を一度見てください。きっと、見たことのない世界が感じられると思います。


ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト
http://dppmm.jp/

一般財団法人日本ドッジボール協会
http://www.dodgeball.or.jp/

#dppmm







2012年01月17日

917 と 36524


917 と 36524

仕事には、タイプがあります。様々な切り口がありますが、法律が絡むところでもある917タイプと36524タイプも切り口の一つ。

917タイプとは、労働時間が定められてる働き方。代表例として、9時から17時まで勤務というもの。多くの会社員は、このタイプです。

一方、36524タイプとは、経営者、管理職、個人事業、士業、プロフェッショナルなどは、勤務時間という束縛がなく、365日24時間働く体制を取っているタイプです。

小生自身は、36524タイプ。たぶん...ww

では、四六時中働いているか言えば、そうでもない。暇な時は、全く持って暇だし、忙しい時は、極端に忙しい。だから、36524!

どちらの働き方が良いかは、考えるつもりもない。どう働くか、どう働かなくてはならないかで決まってしまうのだから。

大事なのは、どちらも時間の使い方。

働く時間、つまり、社会に対して価値を生み出す時間をどう使うか、過ごすかである。大事なのは、社会に貢献して始めて報酬がもらえる権利を得ると言うこと。社会に貢献するのは、時間ではなく成果、結果。

短い時間でも大きな成果を挙げれば、大きな成果に見合った報酬を得られる権利を持つ。しかし、長々と、いや、だらだらと時間を費やして仕事をして、わずかな成果しか挙げられなかったらそれなりの報酬しか得られない。

そして、働かない時間の使い方。遊ぶ、学ぶ、買い物、何もしない、さらに働く、つるむ、趣味、家族、旅、こもる... 働かない時間も働く時間と同じペースで時間は流れる。この時間をどう乗りこなすか、飲まれるか...

働くとは、他人との係わり合いの中で成果、結果を出すことでもある。

他人との力関係、脅威、同情、共感、険悪、無関心... どう、思い、どう思われながら、係わりを保つのか。

917と36524では、同じようだけれども、やはりどこか違いがあるのかも知れないと感じるところでもある。

大事なのは、自分の人生、ビジネスストーリーの中では、自分が主人公であること。そして、監督も自分であること。どうせなら、かっこいいストーリーを作りたいじゃないですか。

917は、見かけ上、オンとオフがはっきりと区分けされます。36524は、自分自身で区分けを作り、演じていかないとなりません。結局は、その違いだけかもしれません。

主人公がかっこいいストーリー。作りましょう! お互いに。







2012年01月16日

適材適所は、人だけでなくサービスも


適材適所は、人だけでなくサービスも

よく適材適所という言葉が使われるが、人材、社員、メンバーなど人を対象に使われることが多いと思う。しかし、人だけでなく、サービスもまさに適材適所が重要だと思う。

背伸びせず、よくを出さず、また、過剰にならず、過小にもならない。その用途にあったサービスのサイズ、質、格、予算を吟味し、合うサイズのものを見つけたい。

しかし、サービスは、目に見えるものではない場合が多く、自分にあったサイズ、質、格、予算というものが把握できていないように思えて仕方がない。

大企業の名の通ったサービスだけがいいものではない。また、安ければいいというものでもない。

大事なのは、ジャストサイズ、ジャストフィット。

どうしても、きちんと評価できなくなると会社やサービス名の看板にお金をかけたくなってしまいがち。それも、ひとつの選択ではあるが、相談相手がいれば判断もしやすくなるのではないかと思う。

税金の納めすぎを防止したり、脱税ではなく節税をするために、会計士や税理士に相談する。法律違反を未然に防いだり、争いごとを小さく収めたいために法律家に相談する。同じように、様々なサービスが適正かどうか、きちんと業務にフィットできるか、そして、実際に運用して効果をだせるかを相談して欲しいと思うのです。

このあたり、遠からず、サービス、ICTの活用、セキュリティなどの相談役が脚光を浴びる日が来ると思っています。

適材適所。

身の丈にあった業務を行うことが、最大の効果を生み出す。第三者の立場でアドバイスするサービス...

社外CIO、ICT顧問。。。 きっと、新しい言葉が生まれると思います。







2012年01月13日

原発事故 と 脱獄 と システムバグ と 夫婦喧嘩


原発事故 と 脱獄 と システムバグ と 夫婦喧嘩

まさに、起きてからでは遅いに尽きること。原発事故も想定外の地震と津波が引き起こした。いや、表面化しただけである。広島の脱獄もなぜ逃げてくださいと言わんばかりの工事の足場があり、工事優先の監視体制の省略... システムの不具合も起こそうと思っていないまでも、正常系のみを考慮し、想定外の異常系の考慮やテストの省略が原因。そして、夫婦喧嘩、親子喧嘩もまさに、想定外の事態に直面したときに表面化する不調和音である。

すべて、起きてからでは遅い。そして、起きてしまってからあーだこーだと言い訳する。

大事なのは、何が大事なのかを忘れないこと。原発は、電気を作ることも大事だが、それ以上に安全性を確保しなければならなかったはず。刑務所だって、工事よりも受刑者をきちんと受刑させることが目的。システムも安定的に稼働することが目的。夫婦だって、仲良く一緒に幸せを追い求めていくことが目的だと思います。

しかし、この大事な目的を目先の事象に注目しすぎて忘れてしまう、手薄になってしまう。この結果、やってはならないことをやってしまう。やらなければならないことやらずに済ませてしまうということが起きてしまい、予期せぬ結果が生じる。でも、これは、原因あっての結果だと思うのです。

責任者、リーダーは、正常系の動きを定めて満足せず、異常系の事象を数多く、一つでも多く想定し、考慮し、対応することが求められる。この普段、目に見えない異常系への準備、対応こそが信頼を勝ち取るものだと思うのですが、決済者も現場も誰も彼もこの異常系への対応を見ない、見えない、表現しない、見える化しないというのが不測の事態を招いている原因ではないでしょうか。

昨今の不景気の中、何もかもが価格競争に陥っています。その値下げ攻勢で削られるのは、まさに、異常系の対応、体制なのです。それを値下げを要求する方が分かっていない。

信頼したサービスが欲しいのであれば、適正な体制、適正な費用がかかります。そのデッドラインを超えてまでの値下げは、まさに、何を目的にしているのか分からない。前述の状況と全く同じなのです。

正常系は出来て当たり前、目に見える部分。つまりは表。異常系は、起きてみて初めて目に見える裏の部分。表裏一体。裏のない実態はないのです。そして、いつ、カードがひっくり返るかのように裏が表になるかわからない。起きてからでは遅いのです。

それが、国家でも、公的施設でも、身の回りのビジネスでも、プライベートでも起こりうること、同じ状況であること。

まずは、気づくこと。何が目的なのか。何だ一番大事なのか。







2012年01月12日

ピンチヒッターを理由にするな


ピンチヒッターを理由にするな

よくラジオでもテレビでもメインのレギュラー司会者(今では、MCというのかな)が、休みを取ってその代わりの人がピンチヒッターで登場することはありますよね。マスコミに限らず、私たちのビジネスの世界でもよくある話です。

このときのピンチヒッターは、大きなチャンスであることが多い。日頃、経験できないことを経験できることってとても大事なシチュエーションです。

しかし、このとき、ピンチヒッターの挨拶を終えても、延々と「緊張してます」「助けてくださいね」「「どうしよう...」「どうすればいいですか?」とそのピンチヒッターという状況、雰囲気を自己演出しすぎる人が結構多い。特に、ラジオとかテレビとか...もちろん、ビジネスの中でも。

舞い上がる、極度の緊張、いつもと違う雰囲気であることには違いありません。しかし、それを周りに必要以上に訴えたり、説明したりするのはいかがなものかと思うのです。

野球には、ピンチヒッター専門の役割があります。ピンチヒッターだから、緊張していつもと違うんですと言い訳が通用するわけもない。しかし、実施には、若手にありがちなこと。どうしていいのか、わからない。でも、それが、ピンチヒッターなんです。代役なら、代役をきちんとこなす。ここのプロ意識が足りない。若いから、新人だからって論理は通用しない。代役は、代役の役目があり、それを遂行するのが役目。舞い上がっている場合ではないのだ。

周りも最初のうちは、あたたかく見守っているのですが、それが、3度、4度目のピンチヒッターだったらそんな言い訳よりきちんと仕事しろよって思っちゃう。

ピンチヒッターは、チャンス。それをきちんと受け止め、チャンスに出来る人にまたピンチヒッターの役回りがやってくる。そして、実績を作っていく。

私たちのビジネスでも、同じようで違うようなことがたくさんあります。

事前の言い訳をしない。もちろん、事後の言い訳も。それもプロです!







2012年01月11日

できない理由は、理由ではない


できない理由は、理由ではない

できなかったことを振り返って、反省することは大いに意味があります。しかし、やりだす前から、理由をくっつけて「できません」と言う理由は理由ではないと思っています。

できる人は、どんな困難や障害があろうとも、思考し、行動し、成功・失敗を問わず結果を出していきます。しかし、やる前からできない理由が見えるというのはありえないと思うのです。もちろん、大きな障害や問題があって、やるべきではないと判断することもあるでしょう。正しい選択であることもあるでしょう。しかし、そこで、諦めてしまうからこそ、できない理由を盾ににしてやらない・できない自分を正当化しているようです。

もし、本当にできないものがあったとしたら... 「今は、できません」と表現するか、そもそも、できないということを表現すらしないと思うのです。

できなかった理由は、理由。できない理由は、屁理屈。そんな気がします。

できそうにないと思うこともあるでしょう。しかし、そこで、諦めるからできないことを正当化しようとする無駄な思考に入る。諦めない人は、思考を継続しているので、できないって思わない。(笑

***なので、できません。 ***がないからできません。 これは、小生の中では禁句です。

***がないからできませんという人に限って、***があったとしてもできないのです。

できない理由なんてない。これが結論。諦めた瞬間に、できなくなるから。

まずは、やってみる。思考、行動、振り返り。ここから、何かが生まれます。予想していない予想以上のものが! そう、信じています。






2012年01月10日

焦りはバレる


焦りはバレる

ビジネスでは見栄を張ったり、背伸びをしたり、欠点を隠したりするのは当たり前。また、それが礼儀でもあることもある。

ただし、その中で、ゆとりが大事。ゆとりのない見栄や背伸びや隠しは、見苦しい。焦りが、本質を露呈してしまう。

焦りは、見苦しい。そして、人の醜い部分をさらけ出す。

焦ってうまくいった試しがない。人の感情も運命の女神もそっぽを向く。

このことに、本人が気づいていない。気づかない。気づこうとしない。

これが焦り。

結果に固執しすぎる。話すテンポが速くなる。相手の目を見なくなる。聞くことより話したがる。これらは、焦りの前兆。

焦りは、本人を通り越して相手に伝わる。これが、タチが悪い。

焦らないようにするには... 焦る経験を積み続けることかもしれない。焦らない人はいないと思うから。

いい焦りを繰り返す。そのうち、焦らなくなる。焦る必要がなくなる。

汗は、流しても焦らない。

でも、言うほど簡単じゃない。

背水の陣は、誰もが感じること。背水の陣で、堂々としていられる自信もない。

焦っている人が目の前に居たら... 一時、遠ざけるかもしれない。遠ざかるだろう。焦っている人から、いい話は出てこない。話がまとまることもない。

なにげに、遠ざかるのもテクニック。焦っている者同士が、進んでいくのが一番怖い。

いい焦りってあるのだろうか?

焦りはバレる。これを肝に命じる。そして、笑顔で話すしかない。







2012年01月06日

学ぶとは


学ぶとは

最近、教えることをサービス(無料と言うことではなく、役務を提供すると言う意味で)として考えるケースが非常に多くなった気がします。

その結果、教わる側、教えを請う側の視線に教える側が下がるということが当たり前のようになった。

これは、教わる、学ぶ、学習ということではない。

教わる、学ぶ、学習とは、教えを請う人が教える人の領域に背伸びして、飛び込んで、配慮することが求められる。教わる方が、意識し、配慮し、本質を見よう、手にいれよう、まねしようとすることである。

逆言うと、教えなんて上っ面のこと。教える人の言葉による教えなんて、為になるとは限らない。立場や環境が違うから。それでも、教えて欲しいと思うなら、言葉やサービスなどの手段ではなく教える人の環境に飛び込んで、共有することが求められる。本当ならば... そして、その上で、まねして、繰り返して、自分のもの、自分のいろに染めていくもの。

しかし、今は、教わる方が偉いというのが多すぎる。

学びとは、教わることではなく共有すること。

そう、思う。







2012年01月05日

それそれの専門家を雇うのではなく、契約する時代


それそれの専門家を雇うのではなく、契約する時代

顧問というのも敷居が高い高いかもしれません。企業では、税理士とか弁護士を顧問という契約で個別に面倒を見ていただく、対応をしていただく制度があります。これに合う仕事は、公の資格が必要な仕事かもしれません。

しかし、本業とは関係なく、専門的な仕事、独特な仕事、でも、企業には必要な仕事をアウトソーシングしていることに違いはありません。

同様に、IT、情報。その両方を含めてICTということがありますが、この分野も実は、税理士、弁護士などと同じような分野ではないかと強く思うのです。

今の時代、IT、ICTは、企業活動には必要不可欠な要素です。しかし、うまく使われていないというのが率直な印象です。

会社の中、実情、環境、業務、予算感、経営者と現場の意向を把握して、初めて最適なIT、ICT活用が可能になります。しかし、これらの全てを把握する人に限って、IT、ICTに詳しくない。だからこそ、アウトソーシングすべきなのですが、顧問という考えがまだ成熟していない。その結果、IT。ICTの導入をしようとしては、失敗する。その繰り返し...

IT、ICTの最適な活用とは、その企業にとって、利益を上げるか、経費を下げるかのどちらか、もしくは両方に結びつかなければならないのですが、結果に結びつけられない。

それは、IT、ICTを依頼する業者が、サービス、ツールを導入することを目的としているため、最終ゴールまで面倒を見てくれないことに原因がるのではないかと思うのです。が、このことを業者に期待数rのは、むつかしいことではないでしょうか。

だからこそ、第三者的な顧問が必要になる。そう、考えるのですが、なかなか、IT、ICTの顧問として仕事ができる人が少ない。だから、成熟していかない。そんな気もします。

社外CIO、ICT顧問。この言葉が、当たり前になるよう日々努力しているところではありますが、よやく、業界新聞に取り上げていただき、注目していただけるところまできました。

ぜひ、一度、社外CIO、ICT顧問を考えてみませんか?







2012年01月04日

あけおめ! お正月休みを頂いて


あけおめ! お正月休みを頂いて

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

年末から年始にかけて、お休みを頂きました。多くの人が、休暇を取られていると思います。ビジネスマンにとって、ゴールデンウィーク、シルバーウィークと並ぶ大型連休ですね。

他の連休と違って、年末年始は、とかく忙しいもの。大掃除に挨拶回りになにかと忙しない連休です。我が家は、1年に唯一、家族旅行に出かけました。1年に1回の贅沢です。

しかし、休みって不思議な存在だと感じるのです。経営に携わるようになってからかもしれませんが。学生と違って、休みが明ければ否応なく学校や授業があるのとは違い、仕事があるとは限らない。ふと休みが明けて、何もしていない自分がいて、それもわかっていて、仕事がなくなっていたら...そう考えるだけで、怖いのです。

何かしていなくていいのだろうか? といつも頭のどこかで問いかけて続けている自分がいます。

かと言って、休まなければ続けられないのも事実。だから、うまく、休むしかない。

うまく休むとは、やることはやった、ビジネス相手もお客様もパートナーも休んでいるので、仕方なしに休もうと思える休みの入り方だとまだいいですね。まず、そんなことはありませんけど。

とはいえ、休まないで働いていても無駄な動きになります。休みも重要。休み方が大事。だから、考えて休む。納得して休む。次につながる休みにする。仕事がなくなる休みであってはならない。

休むのもむつかしい。休みは怖いもの。そう感じるのです。

でも、休んだら、忘れる。(笑

メリハリですね。







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