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<title>WBI コンシェルジュのブログ</title>
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<description>WBI とは、Working、Business &amp; ICT。WBI コンシェルジュとは、働き方の見直し、業務改善、ICT活用の支援・相談役です。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1570.html">
<title>オン も オフ もあなたです</title>
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<description><![CDATA[<p>オン も オフ もあなたです</p>

<p>FacebookにTwitter、mixiに、Google＋と、ソーシャルネットワークが盛んになってきた感じがします。いわゆる、ネットでのつながりをオンといい、リアルなつながりをオフと表現することもあります。</p>

<p>オンでつながって、オフでもつながる。オフのつながりが、オンでもつながる。などとオンとオフのつながりが融合していくようです。かくいう小生もオンとオフのつながりが入り混じり、区分けが難しくなってきている気がします。</p>

<p>そんな中、オフの顔とオンの顔が違う人がよくいます。オンでは、仕事とは全く関係のない趣味やプライベートの話が中心の人や、こんなに交友関係が広いのかと思ってしまうほど、オフはおとなしいのにオンは活発な人。様々ですから、また楽しいし面白いと感じています。</p>

<p>小生自身も、オンではまさにドッジボール中心の人格を展開していますからww</p>

<p>しかし、気を付けなければならないことも学ばなければなりません。オンもオフも知っている”友人”は、その両方の人格（？）を見ていることを。そして、その見ている友人は、自分が把握している以上の友人であることを。さらに、オンの人格を知らぬ間に継続的に見ていることを。</p>

<p>つい、グチを吐いてしまう。コレくらいなら、まだ可愛いと思うかもしれませんが、あることないこと呟かれたり、その場にいたことや会っていたことが他の友人にばれてしまうような会話や写真をアップしたり、仕事上の内容を呟かれたり．．． こんなこと、自分自身では気づかないけど他人から見たらしてしまっていることって少なからずあるんです。これを頻繁に、自由気ままに、呟きと言う名の下に公開されてしまう人格だったら．．．そんな”友人”との関係を考え直すのではないでしょうか。</p>

<p>自分自身の行動や意見や近況をアップするのであれば、楽しいソーシャルネットワーキングのツールも、暴露や悪口を他人を知らぬ間に発信してしまうツールにもなってしまう。その気がないにもかかわらずそう見えてしまうところがあるので怖いところ。</p>

<p>他人のことは書かない、触れない、写さないが基本。その基本を守った上で、つながれる関係を作ったり、公開してもいい内容や情報を吟味することが大事。というより、マナー。</p>

<p>うまく非公開グループや公開範囲の設定が出来ない人に限って、問題あるアップをしている。</p>

<p>誰が見ているか分からないのがオンの世界。お客様、同僚、先輩、家族が見ているかもしれません。と言うより、見ているのです。見られるのです。</p>

<p>そんな意識を持って、ソーシャルネットを楽しみましょう。</p>

<p>小生も自戒の念を忘れずに．．． です。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
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<dc:creator>kawakami</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1569.html">
<title>他人の意見は、表と裏がある</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1569.html</link>
<description><![CDATA[<p>他人の意見は、表と裏がある</p>

<p>人は、ミスするもの、間違えるもの。そんなことを痛感することがよくあります。</p>

<p>1日の間でも、数時間の間でも、緊張感はそれほど長くは続かない。また、緊張感を保っていたとしても、ミスは出る。だからこそ、そのミスを補完する仕組みが必要になる。</p>

<p>頭が真っ白になることもあるだろうし、完全に誤解していることもある。</p>

<p>小生もいつも正しい判断、行動をとっているとは限らない。自分自身の判断、行動が正しいと思い込み過ぎないことが大事なこと。</p>

<p>つまりは、他人の声やアドバイスに耳を傾ける準備があるかないか．．．</p>

<p>他人の声とアドバイスを聞きすぎてもいけない。しかし、聞かないことでもいけない。冷静な思考と判断が求められるのです。</p>

<p>自分自身の思考と判断、行動を行うこと。そして、その行動、結果に対する他人や周りの状況からの情報をを得ること。、さらに、自分自身の思考、判断、行動という”仮定”の検証を行い、修正していく。</p>

<p>これが、バックアップでもあり、ミスの早期発見でもあり、是正である。</p>

<p>言葉にすれば、これで終わってしまうが、自分自身の思考や判断を途中で、遮って違う論理が入り込んでくると、頭の中は大混乱に陥るのである。一旦、客観視して、第三者としての考え直せれば良いのだが．．． これが、なかなかできるもんじゃない。</p>

<p>ありえない判断をしてしまうのは、概してこんな状況なのではないだろうか。</p>

<p>他人の声で救われることも、他人の声で大混乱してしまうこともあるのだから、扱いが難しい。</p>

<p>思考や判断を自分の身体から離れて、第三者として見ることが出来るかどうか。ここには、意地とかプライドを切り離すということでもある。</p>

<p>逆言うと、自分の意見も相手にすれば他人の意見となる。</p>

<p>他人の声、意見、アドバイス．．．</p>

<p>活かすも殺すも、自分の裁量。懐の深さ。</p>

<p>最後に判断する”自分”を信じる。”自分”を信じるために、他人の声を聞く。そして、せっかく聞いたy他人の声を捨てることの勇気。自分の思考、判断を誤りと認め、変更する勇気。どちらも勇気。</p>

<p>他人の意見は、色々な意味での表と裏があることを認識することができれば、少しは楽に思考が出来るかもしれない。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-09T07:05:04+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1568.html">
<title>そこにいることが、大事なんじゃない。係わり方が大事なんだ。</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1568.html</link>
<description><![CDATA[<p>そこにいることが、大事なんじゃない。係わり方が大事なんだ。</p>

<p>社会人になり、歳を重ね、責任を積み重なり、役職が上がっていく。すると、不思議とそこにいることが使命だったり、役目だったり、仕事だったりと考えがちになる。そこにいることが仕事だ、役割だと。</p>

<p>しかし、それは大きな誤解。そこに居ることが弊害に感じている人は多い。</p>

<p>その場に、居ることが、安心を与えるのか、弊害と感じるのかの違い．．． このことに気づいていない人が多い。</p>

<p>その大きな要素の一つが、係わり方。</p>

<p>どう、係わっているのか、逆に、係わっていないのか。</p>

<p>で、あるならば、その場に居なくてもいいことも多い。居なければならないこともある。</p>

<p>居ることが前提ではなく、係わり方が前提。</p>

<p>係わりは、責任でもある。</p>

<p>これを理解できれば、行動範囲が広がる。係わり方も広がる。</p>

<p>停滞しているなと感じたならば、それは、もしかしたら係わり方が違っているのかしれません。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-08T06:44:23+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1567.html">
<title>休む勇気 休ませる勇気</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1567.html</link>
<description><![CDATA[<p>休む勇気 休ませる勇気</p>

<p>休むって大事な行為。それが、分かっているからこそ、休むことで”逃げる”ことも、”怠ける”こともできる。休むことが、プラスの行為かマイナスの行為かその瞬間には分からないから管理しづらい。</p>

<p>自分自身、自分が現場に出ているメンバーであり、管理職であり、経営者である。</p>

<p>休みたい、逃げたい、サボりたい、休養したい、充電したい、パワーを蓄えたい、リフレッシュしたい、<br />
気分を変えたい。様々な休み方がある。</p>

<p>休みは魔物。休むことの意味をぼやかしてしまう。見失ってしまう。</p>

<p>休むことが、停滞、下降という意味を持ってしまう。瞬間的な時間だけを見ればそう見えてしまうのも事実。だからこそ、休むということが不可解に感じることが多い。</p>

<p>同じように、辞めるということも不思議なことかもしれない。</p>

<p>いずれにせよ、休んだ後が大事なのだ。リスタート、別スタート。このリスタート、別スタートがあるからこそ、休んだことの効果・価値が見える。</p>

<p>休むのが先で、リスタート・別スタートが後。さらにいえば、行動の過去がある。</p>

<p>過去と今と将来。行動、休み、スタート。</p>

<p>この一連の時の流れを少し引いたところから、長い目で見なければ正しい休み方なんて分かるはずもない。また、行動、休み、スタートの経験も大事な要素。</p>

<p>自分を含む本人が、休みたいという意志や行動を示したとき、どう感じるか？</p>

<p>サボりたいのか、いっぱいいっぱいなのか、計画的なのか、瞬間的なのか、休ませたほうが良いのか、悪いのか。様々な思考や感情が入り乱れるのではないでしょうか。小生自身も自分自身の感情、思考、部下や同僚、家族などの表情、行動、言い訳、理由などが入り乱れて、錯綜し、違和感を感じることもある。</p>

<p>その違和感を解消するためか、休む理由を聴いたり、逆に意味付けを行なったりすることになる。</p>

<p>休むことよりもスタートのさせ方に意識を持っていきたい。</p>

<p>休むのは、当たり前。当たり前のこと。その当たり前のことに対して、違和感を感じることがおかしいのだ。大事なのは、休んだ後、どうスタートさせるかに意識と思考を集中する。その経過の中で、休み方を考えればいい。</p>

<p>この意識の転換ができるようになれば、少し引いたところで全体を見ることができる。</p>

<p>休み方は、スタートの仕方によって変わってくる。</p>

<p>休むだけを見るのではなく、スタートとセットで考えることこそが正しい休み方が見えてくる。</p>

<p>休む勇気、休ませる勇気ではなく、休むこと、休ませることが当たり前になる。</p>

<p>休んだ後のスタートこそ、大事な瞬間である。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-07T06:57:37+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/10_1.html">
<title>10年ぶりに、インフルエンザにやられた</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/10_1.html</link>
<description><![CDATA[<p>10年ぶりに、インフルエンザにやられた</p>

<p>先週、体調がおかしいな、関節や節々が痛いなと思っていたら、悪寒．．． そう、インフルエンザにやられてしまいました。</p>

<p>最近、病院なんていった記憶がない。久しぶりに、良く行く内科医に診てもらいに行きました。10年ぶりだったらしく、10年も風邪に打ち勝ってきたなぁと自己満足。その内科医は、小学校の同級生の医院なのですが、その同級生が院長先生になっていて、話をするのも照れくさかった。鼻の奥に、長い綿棒を突っ込まれて、インフルエンザ判定。息子が、インフルエンザＡ型にかかっていたので、まぁ、間違いないだろうと思っていましたが、やはりＡ型でした。</p>

<p>週末は、趣味のドッジボール三昧の日々を送っていましたが、さすがに、お休み、静養することにしました。</p>

<p>それでも、仕事には大きな穴を開けることなく、なんとかこなしてこれたことに自己満足。週末、正確には、金曜日の午後からダウンなので、週末で復活を目指します。</p>

<p>2日間も暇になってしまうと、何していいものか悩んでしまいますね。家の中でも隔離されているので、やれることも限られてくるし．．．</p>

<p>せっかくなので、この2日間を普段やれないことをやってみたいと思うのだが、考えても、考えてもなかなかやりたいことって出てこない（笑</p>

<p>仕事でもするかってなっちゃう．．．（苦笑</p>

<p>出歩くことでもできず、パソコンが唯一の気分転換。ならば、やはり、仕事になっちゃう。</p>

<p>普段できていない仕事もあるし．．．</p>

<p>そんなこんなの週末2日間。</p>

<p>久しぶりに、ゆったりと過ごせました。また、今週、めいっぱい頑張って、今週末のドッジ三昧に備えます。健康が、第一。来年は、ワクチン打とうかな．．．（笑</p>

<p><br />
ほかの人に迷惑かけてはいけないので、念のため、今日月曜日も自宅にこもって仕事をすることにしました。たまには、いいかなと思ってます。</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-06T08:20:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1566.html">
<title>なぜに、いまさら、ここまでドッジボールにはまったのか</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1566.html</link>
<description><![CDATA[<p>なぜに、いまさら、ここまでドッジボールにはまったのか</p>

<p>　単純、誰もが知っている、誰もがやったことのある、スポーツ・ゲーム。それが、ドッジボール。<br />
　<br />
　しかし、公式ドッジボールという統制の取れたドッジボールを知り、まさに”はまって”しまった。<br />
　<br />
　なぜか？<br />
　<br />
　そこには、勝つために、露骨に、「努力」、「涙」、「苦労」、「真剣」、「悔しさ」、「歓喜」、「応援」、「奮起」、「思考」、「情」がある。そして、何よりも「愛」があるのである。<br />
　<br />
　この愛を感じ取れたもののみが、やがては、ドッジボールにさらにはまっていく。<br />
　<br />
　きっかけは、自分の子どもがドッジボールを始めたことだろう。しかし、はまった大人たちは、自分の子どもが小学校を卒業したあとも、ドッジボールの世界から卒業しようとはしない。<br />
　<br />
　時間とお金をドッジボールにつぎ込んで、審判だったり、コーチだったりとそれぞれの方法でドッジボール界に身を置くのである。<br />
　<br />
　このような人たちを、敬意を表して「変態」と呼ばれる。<br />
　<br />
　年齢も性別も職業も年収も家族構成も育ちも全く関係ない。ドッジ愛があるかどうかだけ。<br />
　<br />
　こんな不思議で、熱くて、正義のある　ドッジボールの世界が、大好きです。<br />
　<br />
　変態たちと世界観が共有できるのも魅力。<br />
　<br />
　この歳になったからこそ、味わえるものがある。味わいたいものがある、味わなければならないものがある。<br />
　<br />
　当分は、ドッジボールで残りの人生を楽しむつもりである。<br />
　</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-04T12:41:08+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/21_2.html">
<title>第21回春の全国小学生ドッジボール選手権 第2回春の全国女子小学生ドッジボール選手権 真っ盛り</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/21_2.html</link>
<description><![CDATA[<p>第21回春の全国小学生ドッジボール選手権 第2回春の全国女子小学生ドッジボール選手権 真っ盛り</p>

<p>公式ドッジボールの集大成。6年生にとっては、最後大きな大会、そして全国大会の都道府県予選が各地で始まっています。</p>

<p>この春の全国と呼ばれる第21回春の全国小学生ドッジボール選手権 第2回春の全国女子小学生ドッジボール選手権は、2012年3月24日（土）が、女子の全国。25日（日）が、混合チームの全国大会です。会場は、名古屋の日本ガイシホール！</p>

<p>ここに、全国から、勝ち抜いた32チームがそれぞれ集結してきます。</p>

<p>全国大会の切符を手にするには、春の全国大会の場合は、各地域のブロック代表にならなければなりません。この全国大会の切符をかけたブロック大会は、</p>

<p>北海道 3/4 北海道立総合体育センタ― きたえーる（北海道）<br />
東北  2/26 尾花沢市「サルナート」（山形）<br />
関東  2/26 ALSOKぐんまアリーナ（群馬）<br />
北信越     3/3 女子単独 リージョンプラザ上越（新潟）<br />
    3/4 混合   リージョンプラザ上越（新潟）<br />
東海  3/4 パークアリーナ小牧（愛知）<br />
関西  3/4 京都府立山城総合運動公園（京都）<br />
中国  3/4 岡山総合文化体育館（岡山）             <br />
四国     3/3 女子単独 高松市総合体育館（香川）<br />
    3/4 混合   高松市総合体育館（香川）<br />
九州  3/4 宮崎市総合体育館（宮崎）             </p>

<p>で決戦が予定されています。</p>

<p>このブロック大会に出場するために、各都道府県予選で勝ち抜いて都道府県の代表にならないとなりません。各都道府県で都道府県の代表チーム数は違いますが、予選を勝ち抜いて上位に入賞しなければなりません。</p>

<p>1年前、東北大地震が起きてしまい、関東ブロック大会が開催できず、関東ブロック代表が全国に出場できないという事態が起こりました。全国からの代表32チームが集結するのは2年ぶりのこと。</p>

<p>まさに、泣き笑いのストーリーが、各ブロック、各都道府県、各チーム、各メンバーで繰り広げられています。</p>

<p>もし、興味を少しでも持って頂けましたら、各地の熱戦を一度生で見てみてください。予想以上の熱い、本気のぶつかり合いを感じ取っていただけるはずです。</p>

<p>各都道府県予選は、JDBA（一般財団法人 日本ドッジボール協会）のサイトにて確認できます。</p>

<p>JDBA 春の全国小学生ドッジボール選手権<br />
http://www.dodgeball.or.jp/%EF%BD%94%EF%BD%8F%EF%BD%90/%E6%98%A5%E3%81%AE%E4%BA%88%E9%81%B8%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%83%85%E5%A0%B1/</p>

<p>愚息のチームも 2/19の東京都大会を勝ち抜こうと頑張っています。</p>

<p>ぜひ、公式ドッジボールにご注目ください！！</p>

<p><br />
日本ドッジボール協会<br />
http://www.dodgeball.or.jp/</p>

<p>ドッジボールに熱狂する小学生を応援するパパ・ママのための応援サイト<br />
http://www.dppmm.jp/</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-03T07:21:14+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1565.html">
<title>同じ感性を共有することって難しい．．．</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1565.html</link>
<description><![CDATA[<p>同じ感性を共有することって難しい．．．</p>

<p>ビジネスでもプライベートでも、社会で生きていくためには他人との関係が全てであると言えるかもしれません。自己主張だけでも、妥協だけでもうまくいかない。つまりは、他人との関係をうまくコントロールしながら生きていたり、ビジネスをしているわけでもあります。</p>

<p>そんな中、やりたいことをどう実現するかということは、とても重要なことです。</p>

<p>ただ、他人との関係の中で実現していくために、他人に協力を仰いだり、協力したりしながら進めたい方向に、作り上げたいように作り上げていくのです。やはり、自分一人では、限界がありますから他人の力を借りなければならないことが多いのです。</p>

<p>そこで、コミュニケーションが必要になります。自分の意図、相手の意図、自分の意見、相手の意見、自分の状況、相手の状況．．． 様々な要素がぶつかり合い、重なり合い、反発し合うのですが、これを矯正していくのがコミュニケーションだと思います。</p>

<p>コミュニケーションと言っても、きちんと正確に伝えたからといって、理解されるとは限らず、そもそも伝わるとも限らず、誤差を発見するたびにコミュニケーションを重ねながら進めていく。根気が必要なことなんです。</p>

<p>言ってもわかず、行動で示してもわからず．．． でも、それは相手から見ても同じことかもしれず．．．</p>

<p>こんな根気のある進め方をしていると、少ないコミュニケーションで伝わる人とどんなにコミュニケーションを重ねても理解し合えない人が出てくる。そうなると、つい、コミュニケーション少なく進められる人とのつながりを大事にしたがるようになります。自然な流れでしょう。これが、言葉にすれば感性、価値観が共有できるということなのでしょう。</p>

<p>しかし、なかなか、感性を共有できる人っていうのは、なかなか存在しない、というか、見つけられない。</p>

<p>見つからないから、諦めるか．．． 見つからなくても、諦めずにコミュニケーションを重ねるか．．． まさに、根気が必要です。ビジネスのプロジェクトや職場の中で、感性が共有できる人がいるととても楽になります。進めやすいと言ったほうがいいかもしれません。余分なコミュニケーションを重ねる必要がなく、その分、建設的な思考に時間も意識も費やせます。</p>

<p>感性が共有できる人とつながりは、とても大事なことだと思うのです。そのためには、相手を理解しよう、相手の考えも聞いてみようという意識も必要。</p>

<p>自分よがりの完成を共有できる人なんていないですからね。</p>

<p>相手を考え、思い、意識することこそ、共有できる感性そのものなのかもしれません。</p>

<p>自分の殻を破って、相手のエリアに入り込めるか。そして、荒らすのではなく、相手の視点に立って考える。自分と相手の思考の融合から生まれたものが共有感性だと思うのです。自分のやり方だけを信じていては、それが正しくても共有されないかもしれない。</p>

<p>その上で、自分の意見、意図を伝えていく。感性が共有できて、初めて出来ることなのかもしれません。</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-02-02T07:03:28+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1564.html">
<title>つながり</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/02/post_1564.html</link>
<description><![CDATA[<p>つながり</p>

<p>つながり。傍から見ると単なる線のように見える。しかし、よーく目を凝らしてみれば、その線は矢印になっているはずである。</p>

<p>つながろうとする気持ち、行動、思惑が矢印となる。矢印のないつながりの線はない。点線、破線、薄い線は、あるだろうが．．．</p>

<p>つながりを線と考えている人が多い。つながろうとする気持ち、行動がないのだ。名刺交換すれば、つながりの線が出来たと誤解している。名刺交換は、つながるコネクタであって線ではない。</p>

<p>つながりたいのか、つながられたいのか。</p>

<p>攻めと受け。</p>

<p>受けばっかりのつながりでは、意味がない。</p>

<p>攻めのつながり。これこそが、矢印のつながりとなる。</p>

<p>あなたのつながり。矢印になっていますか？ 矢印の向きは、正しいですか？ 矢印が向けられていますか？</p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/01/post_1563.html">
<title>クラウドというけれど</title>
<link>http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/01/post_1563.html</link>
<description><![CDATA[<p>クラウドというけれど</p>

<p>パソコン、CPU、ブロードバンドの発達。その成長でようやく活用し始めたのが、いわゆるクラウド技術。</p>

<p>しかし、その存在や活用方法が紹介されて、いまだまだまだ、浸透しきれていないというのはなぜだろう。</p>

<p>今のままで十分？</p>

<p>移行が、面倒くさい？</p>

<p>セキュリティが不安？</p>

<p>活用方法が、イメージできない？</p>

<p>使いこなす社員がいない？</p>

<p>多くの企業では、こんな言葉が返ってくるという。なんと、後ろ向きなんだろう。</p>

<p>アメリカなどでは、クラウドが当たり前になり自社の主力・本業の価格競争に優位に働いていると言う。クラウドなしのビジネスは、ありえないとも言う。</p>

<p>しかし、日本では．．．</p>

<p>大きな理由の一つが、大企業が全面的に採用していないということだろう。コンプライアンス！ 情報漏洩！ この2つの言葉がこぞって阻害している。</p>

<p>笑えない話だが、クラウドサービス企業の自社社員が、ノートＰＣ持ち出し禁止、自宅での業務禁止、社内情報の持ち出し禁止、業務メールの転送禁止．．． こんな状態では、クラウド活用なんて必要がないというより、無理である。</p>

<p>結局、クラウドの恩恵を受け、積極的に活用しているのは、一部の個人経営、零細企業と個人なのだろう。</p>

<p>パイが小さい世界でしか、活用できていない。</p>

<p>そのせいか、クラウドサービスも和製のモノをなかなか見かけることができない。いいものと言われるものは、外国産。そのうちに、日本語化されているものだ。</p>

<p>日本の企業が打ち出すクラウドサービスというのも、何だか一般的ではなく元的なものが多い。業界、業種、規模、費用感．．．</p>

<p>小生自身、クラウドを活用しているかと言えば、まだまだ序の口だろう。まだ、クラウドツールでも有料で活用しているものは、極わずかである。</p>

<p>クラウド先での情報漏洩を心配するより、社員からの漏洩や置き忘れのリスクの方が明らかに高いだろうし、自社内でサーバーやその管理、ネットワークを維持する費用の方が高額なのに。</p>

<p>その上、時間と場所の制約が小さくなる、自由度が上がりビジネスチャンスや範囲が格段に広がる。</p>

<p>きっと、社員を信用していないんだろう。経営者自身も信用されていないのだから．．．</p>

<p>だから、経営と現場が一体化されているビジネス、ビジネス母体でしかまだ活用されていないのではないかと思うのである。</p>

<p>大企業とは、そういうものなのだ。決められた仕事を決められたとおりにこなすのが、大企業の特性。新しい、アイディアとか革新というのはやはり、リスクを負える小さな、小さな冒険者たち。</p>

<p>そういえば、雲も良く見れば小さな小さな水滴の集りである。クラウド（雲）とは、よく言ったもんだ。</p>]]></description>
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<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-01-31T06:48:12+09:00</dc:date>
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<title>笑顔</title>
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<description><![CDATA[<p>笑顔</p>

<p>笑顔．．． 素敵です。笑顔で救われることも少なくありません。だから、笑顔でいたいと思う。</p>

<p>しかし、社会人になり、歳を重ね、責任を負うようになると、笑顔をいつの間にか忘れてしまう。笑顔の作り方さえ分からなくなる。家でも笑わなくなり、ムスッっとしてしまう。そんな生活に陥ってしまう人は少なくない。小生もそんな一人だろう。</p>

<p>無口だから、性格だから、慎重だから．．．そんな修飾語が付くか、興味がない、無愛想、無関心という就職語が付くか、それで、イメージは変わり、対応も変わり、環境も変わっていく。</p>

<p>でも、笑顔があれば、そんな修飾語は全て吹っ飛ぶ。笑顔には笑顔が集まる。笑顔が笑顔を作る。単純なこと。笑顔があれば．．．笑顔で救われる．．． 笑顔が一番．．．</p>

<p>笑うと笑顔は、違うかもしれない。笑うは作れないが、笑顔は作れる。素敵な笑顔の持ち主になりたいものだ。そして、素敵な笑顔の人の近くにいたいと思うものだ。</p>

<p>なんだかんだと理屈をつけてきたが、笑顔が一番。</p>

<p>でも、笑顔でいるって、簡単じゃない。</p>

<p>困った時、悩んだ時にこそ、笑顔でいる。それが簡単じゃないから、素敵な笑顔の人の近くに行く。笑顔のお裾分け。</p>

<p>人が集まる人の魅力のひとつが笑顔。誰もが持っているもの</p>

<p>今日もめいっぱいの笑顔で過ごしたい。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
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<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-01-30T07:06:48+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/01/want_must.html">
<title>WANT から MUST に変わると</title>
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<description><![CDATA[<p>WANT から MUST に変わると</p>

<p>仕事でもプライベートでも、考えること、行動することは、”やりたい”ことであれば幸せなことだと思います。その思考、行動からもさらに成長・発展でもできるでしょう。しかし、やりたいことでないこともやらなければならないのが世の常でしょう。かっこいい言い方をすれば（？）、WANTとMUSTです。</p>

<p>とっかかりは、WANTであっても次第にMUSTになることも多くあります。気持ちの持ち方次第と言えばそれまでですが、責任が付きまとうと、どうしてもWANTからMUSTに変わらざるを得なくなるでしょう。MUSTだけれどもWANTと同居できれば一番いいのかもしれません。</p>

<p>小生もWANTとMUSTを両方掛け持ちして、やりくりしているのが現状です。そんな中、WANTは楽しい、MUSTはつまらないといった単純な構図だけではないことに最近気づいてきました。</p>

<p>思考、行動．．．そして、その結果。当初の予定通りになることなど皆無であり、ほとんどは多かれ少なかれ、想定外とか、例外、思っても見なかったことへの対処を経て、結果に結びつく。大事なのは、机上の論理以外での対応・。対処の方法である。</p>

<p>上手くこなすコツは、様々、個人的にもあるでしょうが、共通しているのは早期発見、早期対応ではないでしょうか。ここに、WANTとMUSTの違いが出てきてしまうと思うのです。</p>

<p>WANTであれば、些細な変化や違いが何となくでも察知するものです。しかし、MUSTになっていると、意識が細かいところまで届かないせいか、大きな違いになるまで把握しにくい。</p>

<p>だから、WANTとMUSTでは、結果が異なってくることも多いし、その経過もWANTは楽しいし、MUSTは辛いのかもしれません。</p>

<p>WANTは、結果的にうまくいく。そんな言葉もあながち間違っていないと言うことだと思うのです。だとすれば、以下に、MUSTの中からWANTを見つけていくか、作っていくか．．． この作業と言うか視点の転換ができると、楽しく思考・行動ができるのではないかと思うのです。</p>

<p>でもまぁ、そんな単純で、簡単なことではないですけどね。（笑</p>

<p>大事なのは、WANTの気持ちこそ例外・想定外への対応がうまくいくということ。正常系と異常系の融合こそがものごとのあり方であれば、その異常系の対処こそが、人が担う部分であり、責任も大きいものかもしれません。</p>

<p>WANTとMUST。今、抱えている思考・行動がどちらなのか．．． 一度、そのことを見つめてみるのも大事なこと。そして、MUSTの割合が高いものについては、視線を変えてみること。そんなことで結果が変わってくるのかもしれません。</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
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<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-01-27T07:52:43+09:00</dc:date>
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<title>つながりというけれど．．．</title>
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<description><![CDATA[<p>つながりというけれど．．．</p>

<p>ツイッター、Facebookなどソーシャルコミュニケーションが台頭し、つながり、つながり力なるキーワードを多く目にするようになりました。</p>

<p>昔の友人、友人の友人、そして。またその友人と簡単につながることができるのも、前にはない新しい関係です。</p>

<p>そして、数字化されることで、つながりの量が比較されるようになり、自慢となるのも自然な流れ。</p>

<p>フォロワー数、フォロー数、友達数などをやみくもに数を上げようとする。あたかも、フォロワー数やフォロー数、友達数の大きさがその人の影響力を示すかのように。</p>

<p>本当に大事なのは、つながり方のはずなのに、つながりの数に固執する。それは、数字化できるのが、つながりの中身ではなく、つながりの数だけであるから。</p>

<p>また、つながり数を誇示するのは、自慢したい気持ちもあるだろうが、仕事に活かしたい、仕事につなげたいという思いのあらわれである。プライベートの目的だけであれば、自慢したい気持ちを除けば関係のない人とのつながりなんて価値がない。自慢自体も意味がなくなってくる。</p>

<p>その流れが、つながりの接点の創設に注力し、つながりの中身、強さ、重み、継続には無関心になる。これが、今の流れなのだろう。</p>

<p>とはいうものの、つながりの中身、強さ、重み、継続などと言葉でもって、説明している時点でもはやネット病、ソーシャル病にかかっている．．．（笑</p>

<p>ごく自然に、心地いいつながり、頼りになるつながり、なくてはならないつながりなんてものは、意識せずとも中身、強さ、重み、継続に時間と頭を使っているものだ。</p>

<p>もちろん、意識しなくてもつながる関係になるには、運、縁、恩が必要だと思う。ネット上のつながりの関係でも、意識せずにつながっている人もいる。つながりの多様化は確かにある。つながっていることでの安心感も理解できる。しかし、どうもつながりを意識しすぎると暴走してしまうこともあるようだ。</p>

<p>不確かな、目に見えないつながりを意識するがために、自己表現を強調しすぎたり、誇示しすぎたり、背伸びしすぎたり、自慢しすぎたり．．． 不安定なものを安定させようとすることに無理が生じる。</p>

<p>大事なのは、自分自身。自分自身を成長させるために必要な関係でなければならないと思うのだが、強調、誇示、背伸び、自慢は、自分自身を崩壊させるきっかけとなる。そんなつながりだったらいらない。</p>

<p>大切なつながり。そんなつながりを求めていきたいし、作っていきたい。一つ一つのつながりは大切なものである。大切なつながりを大切な関係に、育てていきたい。それには、数も限界がある。個人差はあると思うけど。</p>

<p>最近のつながりの多様化の流れ。もちろん、否定はしない。積極的に利用していきたい。その中で、自分自身の成長とか、自分自身の確立がなければ、社会の流れに飲まれてしまう結果になってしまう。</p>]]></description>
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<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-01-26T07:26:49+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/01/post_1560.html">
<title>何歳まで働けるのか、何歳まで働きたいのか、何歳まで働かなければならないのか。</title>
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<description><![CDATA[<p>何歳まで働けるのか、何歳まで働きたいのか、何歳まで働かなければならないのか。</p>

<p>今、小生は45歳。社会通念上（？）の定年60歳まで、あと15年。下の息子が、10歳。25歳になる頃、定年を迎えることになる。</p>

<p>ただ、小生の場合、経営者の一面もあり定年という千引がないので、その先も働く意思と能力がまだあれば、働いていたいという気持ちもある。その一方で、隠居生活に憧れたりもする。</p>

<p>制度上では、定年を希望者には延長するという流れが出てきたが、さてさて、一体、何歳まで働けることやら。</p>

<p>年金がもらえるのが65歳。空白の5年とも言われる。実際、自営業者など、厚生年金の上積みがない年金支給額では、生活なんてできそうもない。自営業者は、定年も関係なく何らかの方法で働き続けないと生活もままらない。かといって、サラリーマンなど厚生年金の上積みがあったとしても、それだけで普通の生活が送れるのかどうかも不安である。</p>

<p>貯蓄ができていれば、多少は安心出来るのかしれないが．．． そんな余裕が、今のデフレの時代に期待もできない。</p>

<p>仕事．．． 生活．．． 老後．．． 少子化．．． さてさて、小生の15年後は、一体どうなっているのやら。不安が不安を呼ぶ。だから、考えるのをやめる。悪循環である。</p>

<p>仕事といえども、15年も続けていられるとは限らない。数ヶ月先の仕事だって、安泰じゃないのに。</p>

<p>仕事も生活のための仕事。社会貢献のための仕事。趣味での仕事。時間つぶしのための仕事。やりがい・生きがいの仕事．．．と様々な側面がある。</p>

<p>やり続けたい仕事、しなければならない仕事、やれる仕事、したいけれどもできない仕事．．．</p>

<p>こんなことを考えると、正直、不安にさいなまれる。</p>

<p>ただ言えることは、大学に通えて、卒業し、およそ20数余年。なんとか、やってこれたという過去・実績。きっと、この先もなんとかやっていけるだろうという思い。これしかないのである。</p>

<p>こんな些細でもろく不確実な思いをカテに、この先、15年、いやそれ以上、働いていかなければならない。働けていければ、まだマシな方。働ける環境が、なくなってしまうこともある。いや、まさにその落とし穴をかいくぐって、生きていかなければならない。</p>

<p>こんなスリリングな環境を楽しめるか、怖がるか．．．</p>

<p>どうせ、進まなければならないものならば、楽しまなければ損である。また、やり直しが効かない道ならば、恥もプライドも捨てて、歩み続けなければならない。足を踏み出すこと。このことを忘れなければ、道はその先に開ける。</p>

<p>小生は、死ぬまで、働いていたい。そう考えるようになった。隠居生活は、小生には似合わない。</p>

<p>仕事の種類は、変わるだろうが、仕事を通じて社会とつながりを持っていたい。</p>

<p>できることならば、やりたい仕事を通じて．．．</p>

<p>何歳まで？ そうね．．．80までかな？！ そう、まだあと、35年。頑張らねばである。</p>

<p>人生の折り返しに過ぎない今である。</p>

<p></p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]></description>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-01-25T07:20:55+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.search-firm.co.jp/blog/kawakami/2012/01/post_1559.html">
<title>意識を変える どうすれば？</title>
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<description><![CDATA[<p>意識を変える どうすれば？</p>

<p>人の行動って、自分自身ではなかなか見えにくいものです。しかし、身近な他人からみえば、人の行動、その変化や意識ってよく見えてしまう。</p>

<p>意識って、四六時中気を張り続けていられるものでもない。気が緩んだとき、それは表情や言葉っじり、行動に表れてしまう。それを他人が見たときには、その緩んだ表情、言葉、行動がその人の全てと判断してしまうこともある。</p>

<p>自分では、一生懸命やっているつもりであっても、実際に真剣に真面目に一生懸命やっていたとしても、行動、表情、言葉に張りがなければ、他人には真剣さが伝わらない場合もある。</p>

<p>特に、小生がそう感じるのが、趣味でもあるドッジボール。</p>

<p>公式ドッジボールは、小学生を中心に中高生、シニアで競技として繰り広げられているスポーツである。小学校の体育の授業のドッジボールとはちょっと違う。</p>

<p>大会などの試合では、公式審判が必要である。ドッジボール協会なるものが存在し、審判も公式審判員として登録されている。小生もC級審判の一人である。子どもたちは、まさに真剣に、必死にドッジボールに取り組んでいる。当然、その応援団はさらにそのドッジボールに思い入れが強い。ドッジボールの試合をジャッジする審判が、緩んでいられるはずもない。この緊張感や高度なスキルが審判を志す、審判に携わる大きな魅力の一つではあるが、まさに、ゆるみなどあってはならない立ち位置の役割なのだ。</p>

<p>そのために、審判は、できる限りジャッジに個人差があってはならないし、動作（所作と言いますが）も個人差、我流があってはならない。毅然とした行動が求められる。だからこそ、達成したということもなく、日々精進していかなければならない。</p>

<p>審判をさせていただいて、正直、微妙なジャッジは、個人差が出てしまうのは仕方がないことかもしれない。大事なのは、正しいジャッジできるように、できる限り正しい位置（見やすい位置）に移動することを惜しまないことでもある。</p>

<p>しかし、それよりも大事なのは、動作（所作）である。ルールブック上、審判の動作も規定されている。また、毎年、統一確認事項として審判の動作も統一化されるよう協会から各都道府県に伝達されてくる。</p>

<p>しかし、これはまだ机上の話。実際に、動作する審判の意識がなければ絵に描いた餅、机上の空論になってしまう。手を伸ばす動作があるが、肘をきちんと伸ばしているか、水平になっているか、指が揃っているか．．． 笛の吹き方も強さ、キレ、長さなど様々なポイントが存在するが、細かいポイントを意識しなければ、腕を伸ばしている、笛を吹くなどアバウトな動作で満足してしまう。しかし、きちんと細かいポイントを満たした動作とそうではない動作を比べた場合、他人はどう感じるだろうか。</p>

<p>綺麗さ、厳格さという、うまく正確に言葉にできない感覚も存在し、動作から受ける印象も大きく違うのではないだろうか。</p>

<p>きちんとジャッジしよう、正しいジャッジができるように動こう、ジャッジが広く正しく伝わるよう動作を明確にしよう、曖昧なジャッジをしないなど、意識を持って初めて動作が変わってくるのである。</p>

<p>他人からみれば、テキトーな動作をする審判は、テキトーなジャッジしかできないと判断してしまうのも仕方ないこと。であえば、スキルは低くても、厳格な動作をすることで周りを納得させることもできるはずである。</p>

<p>では、意識を変えるにはどうすればいいのだろうか。</p>

<p>意識を変えるのは、実は簡単なことなのかもしれない。上手くなりたい、幸せになりたい、認められたいと思うのは誰しもが思うことであり、そのために、どうしなければならないか、どうすればいいかまでは思いつくだろう。しかし、そのアイディアを行動に移せない人がなんと多いことか。小生もそのうちの一人ではあるけれど。</p>

<p>なぜ、行動に移せないのか．．．</p>

<p>そこに、失敗したときの恐怖、うまくいかずに逃げ出した時の恥ずかしさがあると思うのである。</p>

<p>やる前から、失敗したときのことやうまくいかなかったときのことを考えてしまう。</p>

<p>真面目に取り組んで失敗した、うまくいかなかったときの恥ずかしさ、劣等感を想像してしまう。だからこそ、自然に、無意識に防御行動が生まれる。つまり、真面目にやっていなかったからという理由が欲しくてテキトーな行動で挑戦するという中途半端になる。その結果、やはり、うまくいかなくなる。</p>

<p>退路を断つ覚悟。つまりは、失敗してもへこたれない強い気持ち。これが必要なのではないだろか。</p>

<p>失敗してもそこでやめてしまうから失敗なのだ。振り返り、反省し、継続して、その結果、時間はかかっても成功すれば、その途中の失敗は成功の一部となる．．．と考えられれば。</p>

<p>ドッジボールの審判員は、場数こそがスキルを上げる唯一の方法である。失敗、ミスジャッジは、つきものである。でも、それを乗り越えられる審判員の動作こそが美しい動作であり、正しいジャッジである。それが、間違ったジャッジであったとしても。</p>

<p>強い気持ち、強い心。それは、恥ずかしいと思う気持ちを拭い捨てられる勇気である。</p>

<p>強い気持ちを持ち続けることこそが、他人から認められ、欲しい結果が得られる条件でもある。</p>

<p>恥と信頼は、表裏一体。信頼を得たかったら、恥る部分を持ち合わせ、引っくり返さなければならない。</p>

<p>恥と信頼が1枚になったカードを持ち合わせたとき、そのカードは最強になる。</p>

<p><br />
</p>]]></description>
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<dc:creator>kawakami</dc:creator>
<dc:date>2012-01-24T07:06:48+09:00</dc:date>
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